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逮捕直後「どうしてこんなに長くかかったのか」…米国をあざ笑った希代のスパイ、獄中で死亡

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2023.06.07 11:15
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米国連邦捜査局(FBI)歴史上最悪のスパイスキャンダルで投獄されていたロバート・ハンセン受刑者(79)が5日(現地時間)、刑務所で死亡したと米ニューヨーク・タイムズ(NYT)などが報じた。ハンセン受刑者はFBI特殊要員として1970年代後半から20年以上も旧ソ連とロシアのスパイとして暗躍していた。

連邦更生当局はこの日「ハンセンが午前6時55分ごろコロラドのフロレンス刑務所で意識のない状態で見つかり応急措置をしたが死亡した」と明らかにした。ハンセン受刑者は2002年に仮釈放のない終身刑を宣告されて警備が厳しいADXフロレンス刑務所で収監生活をしてきた。

 
米FBIはホームページでハンセン事件を「米国史上最も破壊的なスパイ事件」と紹介している。20年以上FBIの防諜部署などで活動したベテラン要員がロシアのスパイだったことが分かったためだ。

米ソ冷戦が最も厳しかった1976年にFBIに入局したハンセン受刑者は79年からソ連に米国の敏感な情報を渡し始めた。米国側情報部員として活動したソ連秘密警察(KGB)要員3人の身元情報も渡し、このうち2人が処刑された。米情報機関が盗聴のためにワシントン駐在ソ連大使館の下にトンネルを掘った事実を知らせた点など15件のスパイ・陰謀容疑が有罪と認められた。ソ連の核攻撃に備えた米国の対応計画の一部もロシア側に渡ったとFBIは把握した。ハンセン受刑者は代価として現金やダイヤモンドなど140万ドル(約1億9500万円)相当の工作金を受け取っていた。

6人の子どもがいるハンセン受刑者は平凡な父親であり敬虔なキリスト教徒として振る舞っていた。自ら「保守主義的反共主義者」と称し、周辺を完璧に欺いた。ハンセン受刑者の存在はKGB要員の間でもコード名「B」または「ラモン・ガルシア」という仮名しか知らされていなかった。ハンセン受刑者はロシア管理者に手紙で「私はキム・フィルビー〔英国秘密情報部(MI6)要員として暗躍したソ連の大物スパイ〕にインスピレーションを受けて14歳の時にこの道を進むことを決心した」と明かしている。

FBIと中央情報局(CIA)は1990年代からロシアに情報が漏れている事実を把握し、内部スパイを探す別名「モグラ捕獲」に突入した。FBIは2000年にある元ロシア情報将校に700万ドルを渡し、「B」という人物がロシア関係者と対話した録音ファイルを確保することができた。以後、音声分析や指紋鑑識などを通してハンセン受刑者の身元を特定した。FBIは当時国務省に派遣されたハンセン受刑者を「昇進対象なので特別職務を与える」と言って本部に呼んだ。その後、ハンセン受刑者の事務室に要員を配置して具体的なスパイ容疑を収集した。結局、2001年2月、ワシントンDC近郊の公園でロシア側に渡す書類を持っていたハンセン受刑者を逮捕した。この時、彼の最初の一言が「(私を捕まえるのに)なぜこんなに長くかかったのか(What took you so long?)」だったという。

この事件は米露外交対立に飛び火した。ジョージ・W・ブッシュ大統領がロシア外交官50人をスパイ活動で追放すると、プーチン大統領も米国外交官50人を対抗追放した。ハンセン受刑者を巡る情報戦は2007年『アメリカを売った男』というタイトルで映画化された。

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