妻子の写真を見せられても動揺せず…日本刑務官が驚いた安重根の獄中生活(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2023.01.11 11:03
該当の記録は『安應七の歴史』の叙述とも合致する。安義士は自叙伝で「週に1度入浴できるようにした」「毎日午前と午後2回監獄から出られるようにした」「朝昼夕の3度の食事として白米飯を食べさせた」など当時日本人看守と検察官に感謝する気持ちを伝えた。だが、日帝は『東洋平和論』の完成を条件に控訴をあきらめた安義士との約束を破って死刑宣告から約1カ月後に死刑を執行した。
今回の資料には興味深い部分がいくつかある。当時の公判準備書類が約76センチに達し、安家の財産が年30俵ほどの収入だったと出ている。また、1909年3月安義士が断指同盟を結び、切った左薬指は同年秋まで残っていたと記述した。安定根(アン・ジョングン)と安恭根(アン・コングン)の2人の弟が刑務所に面会に来た事実と兄の安義士に会わなかった彼らの反応も明記されている。