【コラム】朝鮮倭軍墓、日本の耳塚…壬辰倭乱の「2つの墓」
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2022.10.06 14:31
2日午後7時ごろ、鳴梁大捷祭りが開かれた全羅南道珍島郡(チンドグン)欝陶項(ウルドルモク)。「全軍、出征しろ」という号令に合わせて朝鮮の板屋船がスクリーンに登場した。1597年9月16日の鳴梁(ミョンリャン)海戦をCGで再現した映像だ。観客は横20メートル、縦5メートルのスクリーンから目を離せなかった。李舜臣(イ・スンシン)将軍が13隻の船で133隻の倭軍を撃破する姿が迫力ある描写で映し出された。後にこの戦闘は7年間続いた壬辰倭乱(文禄・慶長の役)を終わらせるのに決定的な役割をすることになった。
戦闘で敗れた倭軍は大きな打撃を受けた。退却後、珍島沖には倭軍の遺体も浮いていた。見かねた珍島の住民は遺体を陽のあたる場所に埋めた。鳴梁大捷があった鳴梁海峽から10キロほど離れた倭徳山(ウェドクサン)墓地だ。倭徳山は「倭人に徳を施した」という意味だ。