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手榴弾で顔が溶けた子供も…ベトナム4200人の笑顔取り戻した韓国人医師

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2022.09.27 11:05
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「これで、うちの赤ちゃんもにっこり笑えますよね?」

今月20日、ベトナム・ハノイの108中央軍事病院で会ったファン・ティ・ティアップさん(34)は、22カ月の息子のロー・ホアン・ハイ君を胸に抱き、こう言った。赤ちゃんの顔を見下ろす母親の目には涙がたまっていた。バックカンの田舎町に住む母子は、韓国セミン顔面奇形支援会(Smile for Children、以下セミン)医療スタッフが医療ボランティアに来るという知らせを聞いて5時間以上バスに乗って駆けつけた。赤ちゃんは口唇口蓋裂を持って生まれた。唇が鼻の下まで長く割れ、口蓋にも亀裂がある。子供にとって顔の奇形は単純に美観上の問題ではない。言葉を学んでいる最中なのにうまく発音できない。母親は「メー(お母さん)、ボー(お父さん)とはっきり言えない」と言った。食べ物を噛んで飲み込むのも難しい。耳に水がたまって聴力が落ちることもある。

 
ロー君の手術は、セミンを率いる盆唐(プンダン)ソウル大学病院整形外科のペク・ロンミン教授が担当した。全身麻酔をしなければならず、唇・口蓋の柔らかい組織を扱うため、比較的手術の難易度が高い。手術前、盆唐ソウル大学病院手術部のファン・イェジ看護師がトレイに手術道具を準備する姿にベトナムの医療スタッフが集まって物珍しそうに見学した。手術室ごとに10人余りのベトナム医師が集まり、肩越しに手術法を学んだ。

ペク教授は「この子供たちは2回目の手術の機会を得られない可能性が高い」とし「子供たちの人生の最後の手術という気持ちで、いつにも増して真心を込めて心血を注いで手術する」と述べた。手術後に会った母親は「韓国の医療スタッフに恩返ししたい」と話した。ペク教授と一緒にベトナムを訪れた韓国の医療スタッフ21人は、同日から5日間、108中央軍事病院で顔面奇形児70人に手術を行った。費用はSKが全額負担する。

初日、韓国医療スタッフの訪問の知らせに120人ほどの小児患者と家族が集まり、ごった返した。厳しい状況で手術を受けることができず、障害を抱えて暮らしていた子供たちがほとんどだ。口唇口蓋裂が最も多く、目が1ミリメートルも開かない先天性眼瞼下垂患者も相当数いた。指がくっついた合指症患者も訪れた。セミン医療スタッフは現地の医師と一緒に問診・検査などを経て、手術が可能な子供70人を選んだ。翌日から5日間、手術室3カ所で一日10時間以上の強行軍が続いた。盆唐ソウル大学病院麻酔科のチェ・スリョン専攻医は、「先に行ってきた先輩たちが『意義深いボランティア活動』だと教えてくれて、インターンの時から是非一度は来てみたいと思っていたが、ついに願いが叶った」と話した。

セミンはペク教授の実兄のペク・セミン博士(当時、ペク病院整形外科教授)の主導で1989年に始まった。初期は韓国国内の脆弱階層の子供の治療を集中的に行ったが、次第に国内の経済事情が良くなったことから海外に目を向けた。ペク・セミン博士が1996年に引退した後、ペク教授がセミンを率いた。セミンのベトナム医療ボランティアは25年目だ。1996年の初めてのボランティア以来、新型コロナウイルス感染症(新型肺炎)のため2年間、ベトナム国境が閉ざされた時を除いて毎年欠かさず訪れた。これまでベトナムを訪れた韓国医療ボランティア団は、延べ500人を超える。14地域のベトナムの顔面奇形児が合計4200人、手術を受けた。

ペク教授は不発手榴弾の爆発でやけどを負い、顔とあごが溶けた10代の少年のことを思い返した。セミン医療スタッフがベトナムを訪れる度に3度にわたり手術を行い、韓国に招待して手術した末、彼は自身の顔を取り戻すことができた。ペク教授は「数年前に私たちがベトナムに来るという知らせを聞き、その少年が20代の青年になって訪ねてきた」として「自ら農作業をしたピーナッツの袋を手に持って一晩中バスに乗ってきて、『就職して、もうすぐ結婚する』と聞いてどれほど嬉しかったか分からない」と伝えた。

セミン医療陣は訪問の度に手術で使用する麻酔機、電気焼灼機、患者モニタリング機器、手術材料などを韓国から持ってきて現地病院に寄贈した。今回も14箱を積んできた。また、盆唐ソウル大学病院にベトナム人医師14人を招待し、1年間の研修の機会を贈った。ペク教授は「魚を釣ってあげるだけでなく、釣り方を教えてあげようという趣旨」と述べた。

今年は108中央軍事病院で、セミンのベトナムボランティア25周年を記念するイベントを開催した。ハノイ市・人民委員会関係者らが出席した。ペク教授は「厳しい日程にも快くついてきてくれた医療スタッフの同僚・後輩、ボランティア団の欠勤を許してくれた病院のおかげで可能だった」とし、「何より1997年の国際通貨危機の時や2008年の世界金融危機の時も継続して後援してくれたSKに感謝する」と称えた。今回の医療ボランティアに同行したSKエコプラントESG推進担当役員のイ・ソンニョ氏は「1996年から推進してきたSKの社会貢献プログラムが新型コロナ危機を克服し、久々に再開されて嬉しく思う」とし、「これまでの25年間、行事を継続して行い、子供たちに新しい人生、幸せな家庭をプレゼントするのと同時に、先進医療技術の移転にも寄与することができ、意義深いと思う」と話した。

ペク教授は「子供たちの輝く笑顔を取り戻すために、今後力が届く限りボランティアを続ける」と語った。

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    2022.09.27 11:05
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    2009年のベトナム医療ボランティア時の盆唐ソウル大学病院のペク・ロンミン教授と患者の赤ちゃん。[写真 セミン顔面奇形支援会]
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