【コラム】「相手を尊重する時、国格が上がる」=韓国(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2022.08.17 13:38
北方外交は、分断国の運命の中で地球村の半分の塀の中に閉じ込もっていた大韓民国が、脱冷戦の転換期を機に自ら塀を崩して出て行った大韓民国の戦略的選択だった。その北方外交の完成が24日で30周年を迎える韓中修交だった。三十而立、30歳なら所信と立場を明確にすべきという意味だ。さらに10年を加えれば、迷いのない不惑の境地に入らなければならない。先週、朴振(パク・ジン)外交長官との会談で中国の王毅外相が三十而立に言及したのは、今の韓中国関係がそのようになっていない危機状況であることをよく知っているからだろう。韓国と中国の両当事者の力と地位も30年前とは大きく変わり、周辺環境は今この瞬間にも大きく揺れ動いている。これまでの経路依存性から抜け出し、変化した状況に合う対中関係を模索すべき時期を迎えているのだ。
韓中修交30年は当時まで「中華民国」または「自由中国」という別称で呼んでいた台湾との断交30周年でもある。ちょうど30年前の台湾との断交の瞬間を台北の在中華民国大使館で迎えたチョ喜庸(チョ・ヒヨン)元駐カナダ大使が最近『中華民国リポート1990-1993』という本を出し、当時の詳細な記録を公開した。チョ氏は台湾断交以降にも在中大使館とソウルの外交部本部で中国業務を担当した外交官だ。チョ大使のインタビューを紙面に移すことには少しためらいがあった。すでに元に戻せないことを今さらなぜ取り上げるのかという反論と共に、最近の反中感情と重なって30年前の選択が間違っていたと主張するものという誤解を招きかねないからだ。この本を精読した結果、チョ大使は台湾との断交自体が間違っていたという主張をするのではなく、断交を処理する過程で韓国外交の未熟さが表れ、今でも他国との関係で続いている未熟さを繰り返さないための反面教師として本を書くことになったという事実を知った。また、台湾というプリズムを通じて過去30年間の韓中関係を振り返り、今後30年間の関係設定のための示唆を得ることができるだろう。
1992年の韓国は30を超える台湾の修交国の一つだった。韓国がアジアで唯一の台湾の友として残っていたのは、反共陣営の第一線を共に守ってきたという連帯意識が最も大きな理由だった。日帝強占期に蒋介石総統と国民党が大韓民国臨時政府を支援し、1943年のカイロ宣言に韓国独立条項が入るよう決定的な役割をした歴史的な事実も韓台関係を格別にした。それで盧泰愚(ノ・テウ)大統領はいつも「新しい友と付き合っても過去の友を捨てない」という言葉で台湾を安心させた。しかし結果的にその言葉は守られなかった。