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「鬱陵郡を独島郡に変更を」…「独島情熱マン」75歳の元教師の提案=韓国

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2022.08.17 12:03
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全財産を投じて独島(ドクト、日本名・竹島)に関する地理博物館を建てた70代の元教師が「慶尚北道鬱陵郡鬱陵邑(キョンサンブクド・ウルルングン・ウルルンウプ)」の行政地名を「慶尚北道独島郡鬱陵邑」に変更することを提案した。彼は『世宗(セジョン)実録地理志』の分析結果を根拠として示した。

主人公は江原道寧越(カンウォンド・ヨンウォル)のホヤ地理博物館のヤン・ジェリョン館長(75)だ。ヤン館長は17日、8・15光復節(解放記念日)を記念して書いた『于山国は独島の領土的境界を意味する』というタイトルの論壇により独島関連の地名改称の必要性を提起した。

 
ヤン館長は「韓国領の独島であることを明らかにするため、普通は『三国史記』に出てくる于山国に領土的当為性を求めるが、于山国は鬱陵島で、独島は鬱陵島付属の島と見なそうとするもの」とし「しかし世宗実録地理誌を見ると、于山は于山島(独島)で、もう一つの島である武陵島(ムルンド、鬱陵島)と書かれている」と説明した。また、「武陵国や鬱陵国と記録せずに于山国と記録したことを見ると、于山国がすなわち鬱陵島にはなり得ないとも見ることができる」と主張した。

続けて「于山国の名称も于山(独島)から取った名前だ。また、世宗実録地理志に島を記録した序列も、于山が武陵より前にあるため、于山が于山国の主たる島になるという解釈が可能だとみなす」と主張した。

ヤン館長は「したがって、于山国を鬱陵島と断定するというよりは、于山国の名称自体を于山島(独島)の中に鬱陵島を含む韓国領土の境界を含む『独島の歴史的記録』と見るべきだ」と独島群改称提案の根拠を伝えた。

ヤン館長は「独島情熱マン」とも呼ばれている。館長は1971年、京畿道華城市(キョンギド・ファソンシ)の南陽(ナミャン)高校に地理教師として赴任した後、2007年2月に校長として退職するまでの36年間、全国の骨董品店を巡りながら独島関連資料を収集した。授業などに活用したり、個人的な研究のためだった。

ヤン館長はお金がないためツケにして独島の地図を持ってきたこともあるほどだ。2007年、忠清北道忠州市(チュンチョンブクド・チュンジュシ)の骨董品店のオーナーから「独島関連の古い地図がある」と連絡を受け、すぐに駆けつけた。ヤン館長は「1895年に日本軍が描いた地図だった」とし「独島と鬱陵島が我が国の国境線内に明確に描かれていて驚いた」と語った。

重要な資料であることを直感したヤン館長は、骨董店のオーナーをしばらく説得した末、お金を後で払うことにし、地図を持ってきたという。その地図は「日清韓軍用精図」で、現在、独島が韓国の領土であることを示す重要な資料として活用されている。

ヤン館長は退職から3カ月後、江原道寧越郡水周面(スジュミョン)武陵里周辺の土地(1914平方メートル)とカフェの建物を購入し、博物館を建てた。当時、退職金・ローンを合わせて8億ウォン(現レートで約8200万円)ほどかかったという。寧越は地形が多様で、地理学者の間で踏査一等地とされる場所だ。

現在、梁館長の博物館には独島関連資料だけで100点以上ある。また、世界各国の地図300点余り、地理書籍1000点余り、地球儀・岩石標本など5000点余りが展示・保管中だ。

ヤン館長は「日本の中学校に配布される歴史の教科書に『独島(竹島)は日本の領土』という表現が入っている」とし「韓国も独島が日本の領土でない理由を地図・文書のような明確な根拠に基づいて独島啓蒙教育を強化しなければならない」と述べた。

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    「鬱陵郡を独島郡に変更を」…「独島情熱マン」75歳の元教師の提案=韓国

    2022.08.17 12:03
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    ヤン・ジェリョン館長が独島が韓国領土であることを表示した日本軍の地図である「日清韓軍用精図」について説明している。2016年撮影。[中央フォト]
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