【コラム】安倍元首相は暴力で命失ったのに、軍備拡張の道を進もうとする日本(1)
ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版2022.07.24 11:53
その日私は高知で高校時代の同級生と会っていた。安倍晋三元首相が奈良で参議院選挙の遊説中に銃撃を受け死亡した日だ。私は2010年に安倍元首相の選挙遊説を取材したことがある。その時も参議院選挙を控え元首相として奈良にきた。安倍元首相は2006年に首相に就任して1年で健康を理由に退任し、2012年に再び首相に就任したがその間のことだ。2009年に民主党が政権交代を成し遂げ自民党は野党になった。市民の前に立った安倍元首相は民主党政権を鋭く批判した。私は安倍元首相が健康上の理由で再び政治をしないと思ったが、直接現場で演説を聞いたら力強い声にカリスマまで感じられ驚いた。
◇1930年代に日本で首相襲撃相次ぐ
襲撃事件の翌朝、カフェに行って新聞を見ても依然として実感が出なかった。夢の中にいるようなおかしな気分がして高知市内にある五台山に散歩に行き、そこにある浜口雄幸の銅像と向き合った。高知出身の浜口は1930年に首相だった当時、東京駅で銃撃され翌年死亡した。浜口は軍備拡大から軍備縮小に転換しようとした首相だ。1930年に軍部の反対を押し切ってロンドン海軍軍縮条約を締結した。浜口が右翼青年の銃に撃たれたのは軍縮に対する反発のためだった。簡単に言えば平和指向的な首相が右翼青年に銃撃されたのだ。1930年代の日本ではこうした事件が相次いだ。