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コロナの足かせ解けこの夏玄海灘を渡る韓国映画14本(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2022.06.26 13:22
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韓国の本と映画を日本に紹介しながらいつからどのように日本に韓国作品が紹介されてきたのか気になった。調べてみると本はいつからだとは言いにくく、映画は1988年のソウル五輪の時から毎年日本で公開した。66年に2本の韓国映画が日本で公開されたが、これは韓日修交の翌年だった。それから88年までは1本も公開しなかった。

88年にペ・チャンホ監督の『鯨とり』とイ・ギュヒョン監督の『青春スケッチ』を配給したアジア映画社の朴炳陽(パク・ビョンヤン)代表は在日コリアンだ。関係者によるとソウル五輪に合わせて会社を設立して韓国映画の配給を始めたという。80~90年代は韓国映画を見る観客が少なく赤字が出ることがほとんどだったが、他の事業で稼いだ資金で映画配給を継続したという。祖国の映画を日本に紹介したい在日コリアンの熱い思いだったものと想像する。

関係者の話を聞くとしばしば登場する人物がいた。ホン・サンス監督の母の全玉淑(チョン・オクスク)さんだ。「全玉淑さんが韓日の文化人をつないだ」ということだ。そういえば朝日新聞の先輩記者にも「ホン・サンス監督のお母さんはすごい方」と聞いたことがある。探してみると70~80年代に日本で人気を集めた詩人金芝河(キム・ジハ)、歌手チョー・ヨンピルも全玉淑さんととても親しい仲だったという。

全さんが亡くなった2015年には朝日新聞に「惜別」の記事が掲載された。死去後に出される訃報記事とは違い、数週間かけて作成される「惜別」記事はとても有名な人か主要人物である場合だけ該当する。全さんは一般の人たちが知っているほどの存在でもないはずなのに「惜別」記事が出て驚いた。この記事に「韓国文学を日本語で紹介する雑誌を発行した」という内容があり探してみたところ、1975年に日本で発行された雑誌「韓国文芸」の編集長が全玉淑さんだった。70年代の日本に韓国文学を紹介する雑誌があったというからとても気になり、今回日本にくるとすぐに古本屋で購入した。

◇日本に韓国文学紹介した「韓国文芸」

創刊号には芥川賞受賞作家の古山高麗雄が、芸術または文学の交流とは対話の場を作ることだ。「韓国文芸」の役割も同じだ。全玉淑さんはまさにその役割を果たすように行動していると書いた。イ・ビョンジュ、シン・ギョンリムらの作品を日本語で紹介した編集後記には、すべてはその出発に意味がある。木を植えるようだ。歳月が流れて成熟し立派な実が熟するという期待がなければ最初から木を植えることもなかっただろうと書いていた。しかし私が購入できたのは6号までで、その後の本は確認できなかった。6号の編集後記では赤字で厳しい状況だと訴え、正直もう少し多く売れることを願うと書いていたのを見ると期待ほど売れなかったようだ。

全玉淑さんがいま日本の韓国文学ブームを知ったら喜んだことだろう。アジア映画社の朴代表もそうだが、当時は難しい試みだっただろうが2000年代に交流の実が熟し多くの作品が玄海灘を渡っているのはみんな開拓者が木を植えたためだ。

帰国してすぐに購入したもうひとつの本は、85年に日本で出版された『気分はソウル―韓国歌謡大全』という本だ。当時日本で人気があったチョー・ヨンピル、李美子(イ・ミジャ)ら韓国歌手を紹介する本で、日本に韓国歌謡を紹介する上でKBS日本語放送が大きな役割をしていると記されている。おそらく「玄海灘に立つ虹」ではないかと思う。韓日文化交流の歴史上に立っていることを実感しこの夏は日本で活躍した開拓者の痕跡を集めて整理してみようと思う。

成川彩/元朝日新聞記者 コロナの足かせ解けこの夏玄海灘を渡る韓国映画14本(1)

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    2022.06.26 13:22
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    1970年代に日本で韓国文学を紹介するために出版された雑誌「韓国文芸」。[写真 成川彩]
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