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20年前に拍手受けたプーチン…なぜ最悪の独裁者になったのか

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2022.04.04 11:03
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虐殺者、殺人独裁者、戦犯…。

ロシアのプーチン大統領に付けられた修飾語だ。最近ではさらに彼に精神的問題がある可能性まで提起される。

 
しかしわずか20年前だけでも西側の評価はこうでなかった。ドイツ連邦議会の演説では欧州人の好感を買いスタンディングオベーションも受けた彼だ。

2000年に47歳でロシアの政権を取り、5人の米国大統領を経てどのような変化があったのか、米シンクタンクとメディアが注目した次期別のプーチンの主要発言を選んでみた。

◇「ロシアは友好的な欧州の国」(2001年)

大統領に就任した翌年、プーチンはドイツ連邦議会で演説した。ソ連崩壊後に押し寄せたハイパーインフレーションでロシア経済は悲惨な状態で、チェチェン紛争を経て国の地位も落ちた。

ここでプーチンは流暢なドイツ語で「ロシアは友好的な欧州の国」と宣言した。「民主的権利と自由がロシア国内政策の核心目標」という彼にドイツ議員はスタンディングオベーションでこたえた。その場には後に首相になるメルケル議員もいた。

その後原油価格の上昇に押されロシア経済は急速に成長した。プーチンの人気もともに上昇した。欧州首脳らは彼を称賛し、ジョージ・W・ブッシュ米大統領は「率直で信頼できる人物」と評価した。

◇「米国の主導体制、危険な発想」(2007年)

バルト3国、ルーマニア、ブルガリアが相次いで北大西洋条約機構(NATO)に加盟し、ジョージアとウクライナで革命が起きて状況が変わった。

プーチンにとってNATOはもはや「米国がロシアを圧迫するための積極的機関」だった。2007年のミュンヘン安全保障会議では意を決して米国を糾弾した。

「いま世界には(米国という)ひとつの主人、君主だけがいる」としてこうした一極体制は「とても危険でだれも安全と感じることはできない」と主張した。

東ドイツ出身でロシア語が堪能なメルケル首相は彼と良い関係を維持しようとした。しかしプーチンはこれさえも拒んだ。ある対話でメルケルが「これまでで最も大きな失敗は何か」と尋ねると、プーチンは「あなたを信じたこと」と答えたとニューヨーク・タイムズは伝えた。

◇「いまは世界が私たちの話を聞く」(2018年)

2013年にシリアのアサド政権が自国民に化学兵器で攻撃し1400人が犠牲になる事件が発生する。しかし当時のオバマ米大統領は報復攻撃をしなかった。

これを見てプーチンは米国が弱くなったと判断したとオランド前フランス大統領は回顧した。その上でプーチンは軍備拡張を始めた。ロシア産エネルギーに依存し、オリガルヒ(新興富豪)が西側に注ぎ込む「オイルマネー」に慣れた欧州諸国は抵抗しなかった。

その間にロシアはクリミアを合併し、ウクライナ東部の反乱軍を支援した。

2018年に自国の先端兵器を宣伝する映像に出演したプーチンは、「だれも私たちの話を聞かなかったが、いまは聞いている。ロシアを封じ込めようとする試みは失敗した」と宣言した。

◇「彼らは強いロシアが嫌い」(2022年)

ライス元米国務長官によると。プーチンはソ連崩壊により「祖国ロシア」の国民2500万人が外国に残されたことをたびたび残念がった。「ソ連帝国の滅亡が20世紀最大の災難」としてこれを取り戻すという夢を抱いていた。

2月のウクライナ侵攻直前のテレビ演説でもその意志がそのままあらわれる。ウクライナはソ連のおかげで近代国家になったとし侵略を正当化した。西側がロシアと対抗することになったのは「ロシアのような強力な独立国家を望まないため」といった。

ニューヨーク・タイムズは誤った歴史認識に信念まで加わりプーチン自ら過去の栄光を復元するメシアと考えていると分析した。

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