【時視各角】疎通のリーダーシップ、決断のリーダーシップ=韓国
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2022.03.22 14:47
高齢の元官僚がこのような話をしたのを思い出す。1950年代にソウル孝子洞(ヒョジャドン)で小学校に通ったその方は、景武台(キョンムデ)の塀の向こう側で李承晩(イ・スンマン)大統領がフランチェスカ夫人と共に境内を散歩する姿を時々見ることができた。友人と共に近づいて「大統領ハラボジ(おじいさん)」と呼べば手を振ってくれた記憶も彼の頭の中に残っている。当時、市民が大統領の姿を肉眼で見ることは、今のように外国映画で見られるような場面ではなかったということだ。青瓦台が凡人の接近を許さない宮廷のようになったのは、武装共産軍が目の前まで浸透した1968年1・21事態が決定的なきっかけだ。
「空間が意識を支配する」という尹錫悦(ユン・ソクヨル)次期大統領の言葉は間違っていない。受験生は勉強する空間がなくて生活環境が劣悪な「考試院」に入るのではない。信者でなくても聖堂に入れば粛然とし、ポケットに入れていた手を出すのも同じ論理だ。しかし空間は意思疎通の必要条件の一つになっても十分条件にはならない。町内のわんぱくな子も大統領と手を振ってあいさつを交わしたが、だからといって李承晩大統領と国民の間の意思疎通がうまくいったと信じる人はいない。人のカーテンが大統領の目と耳を覆ったその時代こそが完ぺきな不通の時代だった。遠からず新しい名前がつく大統領官邸や執務空間の塀を低め、周囲を公園として開放するからといって、意思疎通がうまくいくわけではないということだ。