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「日本の弥生文化、韓半島が本流…干ばつ難民が移動して作った」(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2021.11.15 07:43
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韓国で出版された『気候の力』(原題)は気候と歴史を組み合わせる試みで、韓国内の研究結果に基づいて気候変化が韓国史に及ぼした影響に迫った点でその意味が明確な本だ。著者であるソウル大学地理学科のパク・ジョンジェ教授は、高麗の滅亡や17世紀の大規模飢謹などの事件を自身の研究データに基づいて気候変化と関連させて説明している。地球温暖化が世界的な課題として注目されている今、過去の気候と歴史から何が学べるかをパク教授に聞いてみた。

--日本の弥生文化を築いたのが韓半島(朝鮮半島)から渡来した気候難民だと書いている。

 
「突然の気候変化の衝撃で韓半島の農耕民が南に移住し、その一部は日本に渡って行ったという仮設だ。3000年前、錦江(クムガン)の中・下流に松菊里(ソングンニ)文化があった。青銅器時代に米作りをしていた人々だ。ところが2800~2700年前、韓半島にひどい干ばつが発生した。この時期に堆積した花粉の中で木の花粉の比率が顕著に低いが、これは干ばつで木の花粉の生産性が非常に良くなかったことを意味している。興味深いのは、この時期に住居地の数も大幅に減少した点だ。稲作ができそうなところを探してさまよっていたということだ。その後、松菊里文化は韓半島南部を経て日本に渡って行ったと考えられる。稲作は温暖で湿潤な九州地域のほうがずっとやりやすかったはずだ。弥生文化は2500~2300年に始まったといわれているが、時期的にも合致する。私がこの時期の気候問題に対する論文を2019年に出したが、偶然に中国でも3カ月後に同じような論文が発表された」

--中国も同じようなことがあったのか。

「この時期の干ばつは『2.8ka(killo annum・千年。すなわち2800年前)イベント』と呼ばれる世界的な現象だ。当時米作りをしていた中国遼東居住民が韓半島に南下してきたが、松菊里の住民たちも日本に移動するというドミノ現象が起きた。おそらく韓半島初めての気候難民ではないかと考えられる。初めて見る移住民との葛藤、環境破壊、食糧不足などは、そうでなくても気候変化で困難と戦っていた韓半島に大きな衝撃を与えた。稲作で人口が急増したため状況はさらに深刻化した。現在もしっかり振り返ってみるべき歴史だ」

--高麗と朝鮮の交代、17世紀の庚辛(ギョンシン)大飢饉も気候変動が背景の一つだと説明した。

「データを見れば高麗・朝鮮交代期には気候が良くなかったのは確かだ。中世の温暖期に属していたが乾燥していた。通常は温暖なら湿潤だと考えるが、この時期はそうではなかった。干ばつで作物状況が良くなく、飢謹につながって民心が極度に悪化していたと思われる。17世紀の庚辛大飢饉時は反対に低温湿潤だった。太陽の黒点が少ない時期だったが、春に温度が低く夏・秋には雨が多く降った。やはり農作業には不利な気候だ。反面、英祖(ヨンジョ)と正祖(チョンジョ)が執権していた時期は太陽の黒点が多かった時期だが、気候が良好だった可能性が高い。英・正祖時代が高い評価を受けるのは気候の恩恵を受けた可能性もある」

これまで国内では高気候関連の資料が乏しく、韓国史と連係させるために多くの困難があった。パク教授は済州島(チェジュド)のハノン(畑として利用される噴火口)、ムルヨンアリオルムなどから堆積物を確保して研究してきた。「人跡が少なかったので、高気候関連のデータを得るのに適している」と述べた。

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