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長崎で韓国人原爆犠牲者慰霊碑除幕…「同胞の願いかなう」

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2021.11.07 09:16
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「この碑は原爆による受難の歴史を決して忘れることなく、犠牲同胞に哀悼の誠を捧げようとするせめてもの証です。英霊よ、心安らかにお眠りください」。

6日午前、長崎市の平和公園に高さ3メートルの慰霊碑が姿を表わした。慰霊碑には太平洋戦争末期である1945年8月9日に長崎に投下された原子爆弾により死亡した韓半島(朝鮮半島)出身犠牲者の魂を称える文言が刻まれた。

 
長崎への原爆投下で約7万4000人が死亡した。このうち数千人~1万人は日帝により日本に強制動員された韓半島出身労働者だった。原爆投下から76年、90年代に現地の韓国人を中心に設置が推進されてから三十数年ぶりに彼らを追悼する慰霊碑が立てられたのだ。

◇「平和の象徴」折り鶴を奉献

この日開かれた「韓国人原子爆弾犠牲者慰霊碑除幕式」には、良くない天気の中にも姜昌一(カン・チャンイル)駐日本韓国大使と呂健二(ヨ・ゴンイ)在日本大韓民国民団団長、向山宗子長崎市議会公明党代表ら韓日の関係者をはじめ日本の高校生平和使節団など100人ほどが参加した。

慰霊碑の基壇は亀の形で作られ、碑石の裏には韓国語と日本語で追悼文が刻まれた。下部には当時の被害状況を説明する案内文が書かれた。除幕式参加者の献花と黙祷に続き日本の高校生平和大使らが「平和の象徴」である折り鶴を慰霊碑に奉献した。

◇「強制」の代わりに「本人の意志に反して」と表現

除幕式に続き長崎平和公園内の原爆資料館で慰霊祭が開かれた。慰霊碑建立委員会の姜成春(カン・ソンチュン)委員長はあいさつで「1990年代初めから慰霊碑建立構想が出てきたが、さまざまな問題で挫折した」と回想した。当時進められた平和公園再整備工事で場所が決めることができず議論が中断され、2013年7月に慰霊碑建立委員会が発足して長崎市との本格的な協議が始まったと説明した。

過程は順調でなかった。姜委員長は「慰霊碑の形、碑文の内容などに対し(長崎市と)見解の違いがありなかなか進展を見られなかった。粘り強く協議した末に同胞が念願した慰霊碑を立てられることになった」と話した。最後まで問題になった碑文の内容は日本が反対した「強制動員」という表現の代わりに「本人の意志に反して」という一節を入れることで折り合いを付けた。

◇95歳の原爆被害者「なんとも言えないほどうれしい」

姜大使はこの日追悼辞を通じ「ある者は韓国人に向けた慰霊碑がややもすると韓日間の政治的問題に飛び火しないだろうかと懸念する」としながらも、長崎平和公園内には中国人など他の国の犠牲者を追悼する慰霊碑があるという事実に言及して「これまで韓国人慰霊碑がなかったことに対し日本は考えてみなければならない」と指摘した。

日本の連立与党である公明党の長崎市議会代表を務める向山議員は、原爆で亡くなった韓国人犠牲者、祖国を思いながら家族を心配して亡くなった魂に謹んで追悼の意を表わしたいとの考えを述べるとともに、平和の高貴さと戦争の悲惨さを次世代に着実に伝えていかなければならないと慰霊碑建立に意味を付与した。

新型コロナウイルスのためこの日の現場には現地の原爆被害者遺族らは多く参加できなかった。1926年生まれで当時原爆を直接経験した長崎在日同胞のクォン・スングムさんは5日、韓国特派員とのインタビューで「まだ真っ黒な雲に覆われたあの日の風景が生々しい。(慰霊碑建立され)なんとも言えないほどうれしい」と感激した。

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