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「『地上の楽園』とだまして43年閉じ込めた」 金正恩氏に出席命令下した日本の裁判所

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2021.09.09 06:59
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「ここまで来るのにとても長い間の時間がかかったが、いよいよ正義の時間が来た」

1950年代に北朝鮮が行っていた北送事業(北朝鮮帰還事業)の被害者川崎栄子さん(79)が7日、東京で開かれた記者会見で明らかにした所感だ。在日同胞2世だった川崎さんは1960年に北朝鮮に渡って43年間生活した後、2003年に脱北して日本に戻った。現在は日本国籍者で他の4人の被害者とともに北朝鮮政権を相手取って損害賠償訴訟を進めている。

AP通信やガーディアンなどによると、東京地裁は10月14日に開かれる「北朝鮮帰国事業損害賠償請求」の初公判に金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長を召喚した。

福田健治弁護士は「海外指導者に対する免責特権を適用しなかった非常に珍しい事例」と述べた。金委員長が出廷しなくても、裁判部が彼の召喚を決めたことは北朝鮮に責任を問うという意味があると説明した。福田弁護士は「これは(北朝鮮が)賠償金を支払うように法的拘束力のある決定を下す唯一の方法」としながら「判決文が被害者の苦痛に対する公式記録になり、北朝鮮に残っている被害者が自由に北朝鮮を離れることができるように助ける政治的圧力になることを願う」と付け加えた。

川崎さんら5人の原告は北朝鮮政府に対して1人あたり1億円の損害賠償を要求している。

◆「彼らが約束したどんなものもなかった」

8日、香港サウスチャイナ・モーニング・ポスト(SCMP)は川崎さんの生涯を光を当てた。報道によると、在日朝鮮人2世だった川崎さんは日本を離れる前は在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)が運営する学校に通っていた。当時、朝鮮総連は学生に「地上の楽園である故国に戻ろう」と説得した。川崎さんは「多くの朝鮮人がこの宣伝を心から信じ、私たち家族も例外ではなかった」と話した。

川崎さんの両親は1年内に日本での生活を整理して北朝鮮に行く計画を立てたが、川崎さんは自分が先に「地上の楽園」に行っていると両親を説得した。17歳だった川崎さんは京都駅で長田行きの特別列車に乗った。川崎さんは「北朝鮮政府がすべての自由と生計を保障してくれると信じていたので、高校生の時も一人で行くことは心配ではなかった」と話した。

川崎さんは北朝鮮清津(チョンジン)港に到着すると同時にこれまで聞いていた話がすべて偽りだったことに気づいたという。北朝鮮が約束した自由と豊かさはなく、自分たちには数多くの疑いの眼差しが向けられた。川崎さんは平壌(ピョンヤン)から500キロ離れた地域のある高等学校の寮に入れられ、ジャガイモとトウモロコシで口に糊をした。大学で化学工学を専攻した後は工場で働いた。栄養失調とホームシックが帰還事業で北朝鮮に連れて来られた彼らを苦しめた。川崎さんはかろうじて現地の様子を日本に伝え、彼の両親は北朝鮮行きの汽車には乗らなかったという。川崎さんは「北朝鮮がいろいろな恩恵を約束したが、どんなものもなく、私たちのほとんどは鉱山や森林、農場で肉体労働をしなければならなかった」と話した。

日本から来たという理由で受けなければならなかった差別も終わりがなかった。川崎さんは北朝鮮で家庭を築いたが、北朝鮮人の夫まで自分のせいで望む職業を就けなくなると舅姑から離婚をそそのかされたこともあった。1990年代苦難の行軍のときには道端に乱雑に捨てられた死体や蔓延した殺人、詐欺、強盗犯罪を目撃したという。1998年に夫が事故死した後、川崎さんは脱北計画を立てて2003年に実行に移した。

川崎さんは「北朝鮮が9万7000人の在日朝鮮人をだまして人生を不幸に陥れた事実を世の中に知らせるために訴訟に参加した」とし「私たちはまだ北側にいる家族を救いたいと思っている。北朝鮮の独裁者を倒して愛する家族と再会したい」と話した。

川崎さんは今年7月に韓国で翻訳出版された実話小説『日本から北朝鮮に行った人々の物語』(邦題『暗闇のトンネル』)の著者でもある。

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