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月城城壁から新羅女性の人骨…「人間の供物」の痕跡、また出た=韓国

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2021.09.08 10:09
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古代史の暗い秘密が再び確認された。韓国文化財庁は慶尚北道慶州市月城(キョンサンブクド・キョンジュシ・ウォルソン)西部の城壁の門址で人身供犧と推定される人骨1柱を発掘したと7日、公表した。人身供犠とは、祭祀で人間を捧げることだ。今回発見された人骨は成長が終わった身長135センチメートルの女性。栄養状態が良くなかった階級と推定される。ネックレスやブレスレットなど、装身具を身に着け、左手の横には桃の種が発見された。仰向けで横たわる「伸展葬」の姿勢で埋葬されていた。

人身供犠の中で最も広く知られている事例は殉葬だ。王などが死亡すると、その人に仕えた人々を共に埋葬する風習だ。記録によると、新羅(シルラ)では6世紀初めまで殉葬があったという。「智証王(チジュンワン)が3年(502年)春2月に命令し、殉葬を禁じた。それ以前は、国王が死ぬと男女5人ずつ殉葬したが、この時になって禁じたのだ」(『三国史記』『新羅本紀』)

 
今回の遺骨は、2017年に50代の男女の遺骨が発見された場所から50センチメートル離れた場所で、同じ方向に横になった状態で出てきた。当時も学界では韓国の歴史上初めて城壁で発見された人身供犠の痕跡とし、大きな関心を寄せた。遺骨は城壁の基礎工事が終わった地点、石の壁の端に横たわっており、城壁を高く積み上げる前に崩れないことを願って人身供犠をしたものと推定される。

最も確実な「人身供犠」の証拠は、人骨の右肩で発見された土器だ。液体を入れる土器を2個重ねたもので、2017年に発見された人骨の足元からも出てきた。重ねた土器は人身供犠にのみ見られる形態だ。

◆なぜ城壁に埋めたのか

当時、築城は国防力とも直結したが、新羅は三国の中で築城に優れた能力を示した。土地住宅博物館のシム・グァンジュ館長は「高句麗(コグリョ)、百済(ペクジェ)、新羅のうち、新羅が最も堅固で高い城を築いた。三国統一の根源的力も城から見出すことができる」とし「築城技術がいつからどのように形成されたのかが学界の長い関心事」と述べた。

慶北(キョンブク)大学の李成周(イ・ソンジュ)教授は、「中国では、人身供犠が龍山時代に大きく流行し、商の時代も城壁を築造する際に、このような人身供犠を行った」とし「特に城壁内部の中でも門址の近くで多く行われた。多くの人が儀礼遂行を見ながら、内部結束も強めたのだろう」と述べた。つまり、城が頑丈に建てられ、自分たちを守ってくれることを祈りながら、人間を生け贄として捧げ、その場所の上に城壁を築いたのだ。

国立慶州文化財研究所のチャン・ギミョン学芸研究士は「今回の発掘は、国内唯一の城壁での人身供犠事例で、資料が蓄積すれば、新羅人が城壁を築き、崩れないように祈願し、どのような祭儀を行ったのか明らかになると考える」と語った。

中国との時差には困惑する側面もある。城壁を築き、人身供犠を行った中国の龍山文化は紀元前3000~紀元前2000年に発達しており、商(紀元前1600年~紀元前1046年)の時期も新羅建国より1000年早い。李成周教授は「商の後に登場した周の時代に礼儀革命があり、その後人身供犠のような方法は原始的だとし、廃棄した。ところが、数千年後に新羅の慶州の真ん中で、このような儀式が行われたということが興味深い」とし「三国の初期国家形成期に、このような方法で権力を掌握し、国家の統制力を高めたようだ」と話した。

◆月城が建設されたのは2世紀?4世紀?

「22年(101年)春2月に城を築き、その名を月城と名付け、同年7月に王が月城に移り住んだ」。『三国史記』の記録だ。しかし、他の分析が出ている。チャン・ギミョン学芸研究士は「今回の調査で月城が4世紀の前期~中期程度に築造され、約50年の工事の後に完成したものと見ることができる」と述べた。発掘された土器、木の破片などの放射性炭素年代を測定した結果だ。ただし、三国史記に「487年に月城を新たに修理した」という記録もある。学界が南側の城壁など他の区域を調査し、解決しなければならない課題だ。

また、人身供犠の規模がどの程度だったのかも関心事だ。今回の調査地点から約10メートル離れた場所で、1985年と1990年に人骨20柱あまりを収拾した。国立慶州文化財研究所は「30年以上前には人骨に大きな関心がなく、当時の出土状況を復元するのは難しく、結論を下すことはできない」という立場だ。崇実(スンシル)大学の崔秉賢(チェ・ビョンヒョン)名誉教授は、「人身祭祀が月城全体にわたってあったのか、門址にだけあったのかは、今後明らかにしなければならない」と述べた。

慶北大学の朱甫暾(チュ・ボドン)名誉教授も「城壁の築造過程で、1、2人程度と考えたが、はるかに多くの人身供犠があったようだ」とし「月城築造にそれほど労力を注ぎ、また、これが安定的に維持されることを新羅の人々が願ったことを示している。4~5世紀の新羅の理解に大いに役立つものとみられる」と述べた。

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    2021.09.08 10:09
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    慶州月城の西門址で発見された女性の人骨。装飾品を身に着けていた。身長135センチメートルで、栄養状態が良くない階級と推定される。[写真 韓国文化財庁]
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