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【コラム】韓国人のDNAには歌がない?

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2021.08.03 10:15
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「起亜自動車が歩行者協会で推進するバス乗車運動とウォーキング運動を後援している。私がもしその車を持っているならば私もやはりいっそ歩きたいだろう」。2004年、英BBCの自動車批評番組『トップギア』の司会者ジェレミー・クラークソン(1960~)はこのように韓国製自動車をばかにした。冷蔵庫と洗濯機にタイヤを付けた自動車の模型まで登場させながら「韓国製自動車には匠の精神も、魂も、情熱もない。そんなものはだれでも作れる」という言葉も付け加えた。英国が批評と嘲弄の対象に聖域がない国であることを考慮しても不快なのは仕方ない。そこで彼がないといった「匠の精神・魂・情熱」のうち「魂」だけを取り上げこう応酬した。「英国車は憑依したのか?」。あまり知られていないが、思い切りばかにした後に彼が真剣にこうした話を付け加えたという。「ひとつ確実に言っておきたいことがあります。実は韓国が車をうまく作れるということです」。それから17年が過ぎたいま、現代・起亜自動車は米JDパワーの自動車ブランド忠誠度調査で6~7位、欧州市場でのシェア7.6%で4位を占めた。嘲弄に怒るよりその裏にある励まし、すなわち価格競争力を超え「固有の価値を持つ最高の車」を作れという忠告を謙虚に受け入れた結果だと察してみる。

同様のことがまた起きた。世界的バイオリニストのピンカス・ズーカーマン(1948~)が6月25日にジュリアード音楽院のオンライン公開講義中に「韓国人には歌うDNAがない」と述べた。彼の真意を知りたくてこれを初めて公論化したメディアを探し一部始終を調べた。

 
記事の題名は「ピンカス・ズーカーマンの積極的文化的偏見発言後のジュリアード音楽院の対応」。事件の経緯はこうだ。ニューヨーク生まれの2人の姉妹がシュポア(1784~1859)のバイオリンとピアノのための「協奏曲二重奏」を演奏した。ズーカーマンは「ほぼ完璧な演奏ですね、これは称賛です」。続けて「どれだけ完璧に演奏するのかより表現に対してもう少し考えてみてください。酢や醤油をもう少し入れるように」と笑って話した。「とても角張った演奏です。楽しんでみてください。バイオリンは単純な弦楽器ではなく歌う楽器です。技術的には何の問題もないです。時にどのように演奏すべきか疑問を感じる時はそれを歌ってみてください」。

音楽家にとって「歌う」という表現は実際にある歌を声を限りに歌うのではない。トップギアの司会者が韓国製自動車に欠如したと言った3種類、すなわち「精神・魂・情熱」を込めて演奏することを意味する。このためズーカーマンがその学生に求めたのは「技術的完璧さを超え音符の裏にある情緒的側面を表わせ」という意味だっただろう。

問題はその次の発言だ。「韓国では歌いません」。韓国人ではないという言葉に「するとどこの国から来ましたか」というズーカーマンの質問を、編集者は「尋ねた(asked)」ではなく「吠えた(barked)」と書いた。日系だという返答に「日本も同じこと」として滑稽に歌をまねると2人の姉妹の顔から笑みが消えた。参加者の質問に答えながら結局は引っ込めることはできない言葉を出した。「韓国人のDNAには歌がありません」。

記事を書いた編集者は「ズーカーマンは音楽的洞察力を伝えた。だが誤った態度によりそれが光を失った。ニューヨークで生まれた人は米国人だ。音楽家ならば韓国からきた音楽的プレゼントがK-POPだけではないということを知るべきだった」と文を結んだ。「彼は韓国が世界最高のバイオリン演奏者を驚くほど多く輩出しており、幻想的な演奏者が日本からきたことを直視すべきだった」というコメントも目につく。

議論がふくらむとズーカーマンは2日後に謝罪文を発表した。「私にとって私の経験を通じて蓄積した知識を次世代に伝えることよりも重要なことはありません。金曜日に2人の才能ある若い音楽家らと疎通する過程で私がした話は文化的感受性が欠如したものでした。(中略)私がした話を引っ込めることはできないが心から謝罪します。このことで貴重なことを学びました」。

17年前に韓国製自動車が「うまく作れる技術力にもかかわらず、ただ乗るものにすぎない」という嘲弄を乗り越えて現在の位置に立ったように、もう私たちは「技術的優秀性」を超え「固有の価値」を追求しなければならない。他人の称賛に浮き足立ち、非難に怒るよりもそうした認識と発言の根拠を振り返り、それを克服することが私たちが進む道だ。犬は理由もなく吠えたりしない。

チョン・サンジク/ソウル大学音楽学部教授

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