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【コラム】ハノイ米朝会談決裂の衝撃、緊張形成にUターン(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2021.07.02 15:05
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今年執権10年目を迎えて一人立ちに向かう北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長の焦りが見える。年に1、2回開催される全員会議を1月と2月、そして6月に行った。会議を開くたびに政治局員(常務委員、委員、候補委員)を交代した。1月に任命した党経済部長(金頭日)を1カ月で、党宣伝書記(朴泰成)を6カ月足らずで解任した。先月29日にも最高位級の幹部の解任と異動あった。誰であるかも明らかにしなかった。1カ月、6カ月も待てない姿だ。対外情勢が厳しいためか、この機に1990年代後半の苦難の行軍当時に国家非常経営をして表れた弊害の清算、すなわち北朝鮮式積弊清算なのか、内部の取り締まりを強化している。叔母の夫・張成沢(チャン・ソンテク)を2013年に、軍部の核心の玄永哲(ヒョン・ヨンチョル)人民武力部長を2015年に処刑して緊張を形成したのと似ている。執権初期に見せた統治術を10年が経過しても繰り返す姿だ。

金正恩政権が発足した直後、「破格」「異例」などの修飾語が登場した。李雪主(イ・ソルジュ)夫人と腕を組んで大衆の前に現れたり、マイクの前で演説したりした。米プロバスケット界の異端児と呼ばれたデニス・ロッドマンを招待して会い、韓国と米国に首脳会談を提案するなど大胆に外交舞台に飛び込んだ。「隠遁の指導者」と呼ばれた父・金正日(キム・ジョンイル)総書記とは違った。形式的ではあるが正常国家を目指しているという評価が出てきた。

 
その金正恩委員長が最近変わった。「人民のベルトを2度と締め上げない(飢えさせない)」(2012年4月)という金正恩の自信は、「ベルトを締めても必ず自力富強、自力繁栄して国の尊厳を守る」(2019年12月)に変わった。北朝鮮は連日、思想戦を強調し、住民を動員して総力戦を見せている。140キロを超えていた体重は大きく落ちた。

転換点はハノイで開催された2019年の2回目の米朝首脳会談だ。北朝鮮はハノイ会談を控えて労働党統一戦線部と外務省が「路線闘争」と呼ばれるほどの激論をし、緻密に準備した。これに先立ち2018年6月12日のシンガポール談判で米朝関係の改善と敵対政策の撤回という約束を受けたため、ハノイ談判で制裁解除に結びつけられるかどうかが「ベルトを締め上げない」という公約の成敗を分ける要素だった。

当時の論争で、過去に「不意打ちを食らったことがある」という外務省の論理に対し、統一戦線部はシンガポール会談の「成果論」で反論した。統一戦線部は「過去の外務省の交渉は1対1だったが、今回は文在寅(ムン・ジェイン)大統領の仲裁もある」という趣旨の主張もしたという。金委員長は積極的な交渉を主張した統一戦線部の言葉を受け入れ、2019年2月のハノイ談判に臨んだ。メリアハノイホテルの金委員長の宿舎は会談の前日から夜通し明かりがついていた。会談場に現れた金委員長の声はかれていた。会談の準備にどれほど力を注いだかを表していた。しかし金委員長が「寧辺(ヨンビョン)を放棄するから人民の生活に関連する制裁5件でも解除してほしい」として接近した会談は、トランプ大統領の「NO」で決裂した。

会談決裂の波紋は大きかった。政権安定化→経済発展戦略→対外行動→制裁解除→人民生活発展につなげようとしていた5段階の国政運営構想は3段階目でストップした。何よりも住民に会談の決裂をどう説明すべきか金委員長としては悩んだはずだ。「最高指導者の決定は誤謬がないため信条として無条件に従うべき」という40年以上の北朝鮮の作動論理(唯一思想10大原則)が致命傷を受けた。平壌(ピョンヤン)住民の「熱烈な」歓送を受けて出発したが、いかなる成果も得られず帰国することになった。「最高尊厳のイメージ」が崩れる危機だった。ベトナムの日程を縮小して帰国する列車の中で、金委員長は「このために60時間も列車に乗ってきたのか」と嘆いたという話もある。金委員長は半月後、初級宣伝活動家大会に書簡を送り、「首領を神秘化すべきでない」と正面突破を図った。首領も失敗することがあるということだ。

その直後から北朝鮮が南北関係を遮断した点を考慮すると、ハノイ会談決裂の責任を韓国に転嫁する方向を決めたようだ。仲裁人として脚光を浴びた青瓦台(チョンワデ、韓国大統領府)を金委員長の妹・金与正(キム・ヨジョン)党副部長が暴言で攻撃したのが傍証だ。手に入るようだった米国との非核化交渉は「長期戦」となった。

【コラム】ハノイ米朝会談決裂の衝撃、緊張形成にUターン(2)

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