【韓日中三国志】豊臣秀吉の鳥銃に圧倒された朝鮮、武器が弱ければ血の涙流す(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2021.06.04 11:51
◆日本軍1人が東学軍200人を相手
日本軍の鳥銃に圧倒された壬辰倭乱当時から300年が過ぎた1894年、朝鮮はまた悲劇に襲われた。「輔国安民」と「斥倭洋」を掲げて蜂起した東学農民軍は、侵略者の日本軍が持つ優れた武器の前でどうすることもできなかった。1894年7月に日清戦争を起こした日本軍が景福宮(キョンボックン)を占領すると、農民軍はまた蜂起した。日本軍を追い出して国を救うという情熱と愛国心は非常に強かったが、農民軍が持つ武器は竹槍と鳥銃にすぎなかった。鳥銃の性能は壬辰倭乱当時からそれほど良くなっていなかった。一方、日本軍は英国製スナイドル銃と自国で製造した村田銃で武装していた。スナイドル銃は射程距離と命中率、そして殺傷力で以前とはレベルが違った。武器の性能に著しい差があったため、日本軍1人が農民軍200人を相手にしたという評価が出るほどだった。