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バイデン氏、亡命の金大中元大統領に手紙…「助けが必要ならいつでも連絡を」

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2020.11.10 08:49
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「韓国の民主化に向けたあなたの労苦に感謝しています…私の支援が必要ならいつでもご連絡ください」 (バイデン氏)

1983年9月30日当時、米上院議員だったバイデン氏が、亡命中だった故金大中(キム・デジュン)元大統領に送った手紙の一部だ。延世大金大中図書館は9日、バイデン氏と金大中氏が交わした手紙2点を公開した。

 
82-85年に韓国を離れて米国で第2次亡命闘争をした金大中氏は、韓国の民主化、人権問題、米国の対外政策などに対する見解を示した手紙を米国内の主要人物に持続的に送った。

当時、バイデン上院議員が金大中氏に送った手紙は、受けた書信に対する返信とみられる。民主党上院議員だったバイデン氏は金大中氏の韓国民主化活動を積極的に支持して協力した議員の一人だった。

バイデン氏は当時の手紙で「あなた(金大中氏)が送った情報は有用です」とし「あなたが扱う問題を慎重に検討します」と伝えた。

「昨年秋に私が送った手紙への関心に感謝します。今後も韓国の発展に向けた関心をお願いします」。(金大中氏)

金大中氏は翌年の84年2月27日、「韓国人権研究所」の名義でバイデン氏に2枚の手紙を送った。この手紙には当時の全斗煥(チョン・ドゥファン)政権に対する批判とともに、会って対話をしたいという内容が書かれていた。当時、金大中氏は84年2月25日にあった「政治家202人解禁措置」について、「核心人物に対する解禁はせず、対外的な宣伝目的で欺まん的な措置を断行した」と批判した。

また「米国務省がこの措置に歓迎の声明を出したことで、韓国の現実に絶望する多くの国民が米国を批判している。(このため)一部は反米主義者になっている」とし、議論が必要な「緊急懸案」だと強調した。金大中氏の対話提案に対し、バイデン氏が返答したかどうかは公開されていない。

バイデン氏が手紙を送った83年当時、2人はまだ親しい関係ではなかったと推定される。バイデン氏は手紙の受信人を表示しながら金大中氏を「「Ms.Kim Dae Jung」としている。また手紙は「Dear Ms.Jung」で始まる。米国式の名前の表記方式を見ると、金大中の「中」をファミリーネーム(性)と理解していたとみられる。

金大中図書館側は「(手紙を交わした)この時から2人は関係を深めた」とし「バイデン氏は金大中氏の民主化運動を支援し、金大中大統領の在任時期には『太陽政策』を支持した」と説明した。

金大中図書館の関係者は「2人の親しい関係は当時会った人たちの証言から確認され、バイデン氏が自叙伝でも『金大中氏を尊敬する』と表現したほど」とし「今回の史料は、金大中氏とバイデン氏の関係が始まった1980年代の2人に関連する史料の最初の公開という点で意味が大きい」と述べた。

2001年、当時の金大中大統領とバイデン米連邦上院外交委員長は青瓦台(チョンワデ、韓国大統領)で再会した。昼食会でバイデン委員長が金大中大統領に「ネクタイが素敵だ」と話すと、金大中大統領が「ネクタイを交換しよう」と提案し、2人はその場で相手のネクタイを着用した。

金元大統領の緑色のネクタイには食事のスープがついていたが、バイデン委員長は約20年間、「勝利の象徴」として大切にしていたという。

金大中図書館の関係者は「金大中元大統領は逝去したが、長い間親しかったバイデン氏が米国の大統領に当選した」とし「今後、対米外交戦略を樹立するうえでこうした事実を参照するのは、韓国の国益実現において必要になるだろう」と語った。

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    2020.11.10 08:49
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    2001年、青瓦台で会った当時の金大中(キム・デジュン)大統領(右)とバイデン上院外交委員長。[中央フォト]
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