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慰安婦被害者「私の血の代償なのに、韓国挺対協がなぜ日本のお金を受け取れないようにするのか」

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2020.05.13 08:07
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慰安婦被害女性のAさんは11日夜、なんとかつながった電話口で、与党系「共に市民党」比例代表で当選した尹美香(ユン・ミヒャン)氏が、日本が2016年に出した和解・癒やし財団の支援金を受け取らないでほしいと言ったのかと尋ねると「電話は長くなっても大丈夫か。では話をしてみよう」と逆に質問で話を始めた。「私たちが(日本から)強制的に奪ってきたお金でもないのに、(尹氏は)受け取らないでほしいと言った」と話した。Aさんは文喜相(ムン・ヒサン)国会議長に宛てた手紙で、尹氏が支援金を受け取らないよう懐柔したと主張した。<中央日報5月11日付『「慰安婦支援金1憶ウォンを受け取ろうとすると、慰安婦団体前代表が受け取らないように勧めた」』および『慰安婦被害女性ら、日本からの支援金受け取ると「裏切り者」の烙印』記事>

32分3秒間の電話のやり取りの中で、Aさんは金を受け取るなという尹氏に「だが、私は悔しいので受け取らなければならない」と言いながらしたという話を同じように聞かせてくれた。

 
「16歳のとき、日帝の巡査が道で私を呼び止めてひざまずかせると、軍靴で2回踏みつけた。どれほど怖かったか。中国にはそのようにして行くことになった」。明瞭に聞き取れていたAさんの声は、慰安所生活をした中国に連れて行かれた部分を語るとき、突然小さくなって弱々しく震えた。「それ(和解・癒やし財団支援金1億ウォン)は私たちが流した血の代償だから」とも話した。

Aさんの主張は尹氏をはじめとする被害者支援団体がすべての被害者の意志と選択権を尊重したかという根本的疑問に直結する。事実、Aさんは以前も似たようなことを経験した。2016年8月に造成された南山(ナムサン)の「記憶の場」には慰安婦被害者247人の名前が刻まれているが、そのうちたった一つ、消えている。Aさんが同年冬の朝早く、槌(つち)と鑿(のみ)を持っていって自らの手で自分の名前を消した。

「『お母さんの名前がそこにある』と子どもから連絡が来た。誰かに知られるのではないかと思って震えた。私が朝早く行ったところ、名簿の最後に私の名前があった。私が自分で削って消した。そして振り向くとパトカー5台が来ていた。南山の麓の派出所(地区隊)にいて、12時を超えて区庁から人が来て家に送ってくれた」

記憶の場は日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯(正義連)や女性界などの市民団体中心に構成された推進委員会が、国民から寄付を集めてソウル市とともに作った。碑に名前を搭載する意志は聞かれなかったのかという質問に、Aさんは「私はそれを作ったことも知らなかった。承諾したこともない」と話した。推進委およびソウル市関係者は「247人の名簿は挺対協から受け取った」と話した。同意は挺対協がすでに取っていたものと理解していたという。正義連側には連絡を数回試みたが、結局つながらなかった。

これがすべてではない。Aさんは「30年前、日本のお金500万円を受け取ったからといって、韓国政府がくれる4300万ウォン(現レートで377万円)を受け取ることができなかった」と話した。日本が1995年に設立した女性のためのアジア平和国民基金のことだ。挺対協などは日本政府の法的責任を前提としたものではないと反対し、韓国政府も代わりに4300万ウォンずつ支援して基金を受け取ることができないよう誘導した。

当時、基金を受け取った7人は政府支援金対象から排除された。だが、時間が過ぎ、知られている内容とは違い、61人が国民基金を受け取っていたことが確認された。54人はこれを隠していたのだ。Aさんはその理由について「挺対協が怖くてそうしたのだろう」と察した。「そのとき挺対協が(日本の金は受け取らないと)印鑑を押せと言った。だが、どうなろうと私たちは日本がくれるというものはもらわないといけないが、挺対協は何の権利があって邪魔する必要があるのか」と話した。Aさんは李容洙(イ・ヨンス)さんが、正義連が財政を被害者に使わなかったと話したことについて「私はテレビ(李さんの記者会見)を見て知った。これまでおばあさんにお金をあげるといってお金を巻き上げていた。そうしておいて、おばあさんにお金を一銭も渡さなかった」と、李さんと同じような趣旨の話をした。

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    慰安婦被害者「私の血の代償なのに、韓国挺対協がなぜ日本のお金を受け取れないようにするのか」

    2020.05.13 08:07
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    12日に訪れた南山「記憶の場」。造成時には慰安婦被害者247人の名前が刻まれていたが、今は246人だけが残されている。碑に名前を刻まれていることを知らなかったAさんが後で知って自分の名前を自ら削ったためだ。黄色い円がAさんの名前が掘られていた箇所だ。ユ・ジヘ記者
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