【コラム】口ひげと朝鮮総督府では得られない共感=韓国
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2020.02.03 13:50
李氏朝鮮後期の風俗画家、恵園(ヘウォン)申潤福(シン・ユンボク)が描いた18世紀末と19世紀初頭の女性は加髢(カチェ)と呼ばれるものを入れて高く結い上げたヘアスタイルをしている。大きく高いほど美しいと感じていたためだ。非常に重く、ある金持ちの家の13歳になる嫁は、部屋に入ってきた姑にジョル(韓国の伝統的なお辞儀)をしようと立ち上がったところ脛骨が折れて死んだほどだった〔『新・近園随筆』、金ヨン俊(キム・ヨンジュン)〕。加髢費用の捻出のために田畑と家の一部分を売るなど行き過ぎる行為が横行すると、英祖(ヨンジョ)35年には加髢を禁じる令を下した。それでも守られないため、30余年が過ぎた正祖(チョンジョ)12年に禁止公文書が再び下された。王朝時代の国王の命令が無視されるほどだから、人間が自ら選んだ容貌を通じて自身を表現したい属性は天賦人権の水準であることを物語っているといえる。
『高麗史』によると、武臣の鄭仲夫(チョン・ジュンブ)は「あなたのひげは関羽のようだ。本当に隊長にふさわしい容貌だ」と国王の仁宗(インジョ)が称賛したひげを文臣たちがろうそくの火で焼くと、これを侮辱と感じて反乱を起こした。文臣を殺戮して形だけの国王を擁立して、ほぼ90年間、高麗を統治した。ひげが門閥貴族社会である高麗を根底から揺るがしたのだ。