【コラム】犬豚として生きてみたところ=韓国(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2020.01.17 13:45
犬豚。最近の世相を貫く代表キーワードはダントツで「犬豚」ではないかと思う。ジョージ・オーウェルの寓話小説『動物農場』が不吉な預言書として読まれていた現政権序盤から、いよいよ人々の話題に上り始めたと思ったら、昨年9月チョ・グク前法務部長官任命前後でついに国民単語になった。道徳性と偽善はさておき、あらゆる疑惑で一家が捜査を受けるような人物をあえて法務部長官に座らせたことに対し、李彦周(イ・オンジュ)議員は抗議の意味で断髪して「国民を犬豚とみている」と刃先を向け、羅卿ウォン(ナ・ギョンウォン)当時自由韓国党院内代表も「国民が『私たちを犬豚とみているのか』と怒っている」と声を高めた。国民を無視するような傲慢な人事権行使と突然向き合うことになった普通の人々も茫然自失のまま光化門(クァンファムン)広場に飛び出して「私たちは犬豚ではない」と抗弁しなければならなかった。
目を引くのは、犬豚の一番の徳目である盲目的支持を一生懸命に実践しているこの政権支持者も「犬豚」という単語を積極的に活用している点だ。たとえば、ある全教組(全国教職員労働組合)所属教師は高等学校の教室でチョ・グク関連のニュースはすべてフェイクだとして「“チョ・グク”ニュースを信じれば犬豚」と話し、チョ・グクの話が出てくるだけで理性を失いかける小説家・孔枝泳(コン・ジヨン)は「これ(チョ長官の落馬)が受け入れられれば、私たちは朝・中・東・自韓(主要保守報道機関と自由韓国党)に対して永遠に犬豚」とし、「チョ・グク反対=犬豚」公式を当てはめて扇動の先頭に立ってきた。