カーマゲドンの悲劇? 希代の逃走者になった「日産の英雄」(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2020.01.06 07:18
2年前、ゴーン氏を日産理事会から全員一致で追い出す時でさえ自信満々だった日産の経営陣としては戸惑うほかない。フォルクスワーゲン・フォードなど、ライバル会社は生き残りをかけて「敵との同床」に乗り出しているが、日産はもともとの友軍だったフランス・ルノー自動車との関係まで複雑にしてしまったためだ。株式所有構造だけ見ればルノーが日産の最大株主(保有率43.7%)だが、各社は1999年合意によって独立経営を行っている。ゴーン氏はこれまでこの2社を縛っていたロープ役だった。ゴーン氏は2005年から12年間、2社で同時にCEOを務めていた。
ゴーン氏は21年前、日本経済界に登場する時の姿も劇的だった。「人材2万1000人縮小、工場5カ所閉鎖、部品協力業者数545個以上縮小」。1999年当時、45歳だったゴーン氏が打ち出した「日産リバイバルプラン」は日本社会を驚かせた。