政治人生の最後に「韓日問題とファストトラック」を抱え込んだ文喜相国会議長(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2019.12.02 09:32
文喜相(ムン・ヒサン)国会議長は一度も務め難い野党非常対策委員長を19代国会だけで2度も務めた。2013年1月大統領選挙の敗北で民主統合党が混乱に陥った時と翌年9月新しい政治民主連合の再整備を求める声が高まった時だ。非常状況で対策が必要な時になると、いつも救援投手として出た。政界が再び彼の役割に注目している。非常状況に陥った韓日関係とファストトラック(迅速処理案件)政局で彼の妙策に期待をかけている。
東京で韓日請求権協定が締結された1965年6月22日、ソウル大学法科大学2年生だった文議長は法大第10講義室で協定に反対して200時間連続で断食(ハンガーストライキ)を続けていた。協定調印の便りが伝えられると、文氏は「民族主体性確立のムン・チョンフン(文氏の本名)」と血書を書き、「国会批准を防ぐ結社闘争を継続していきましょう」として「断食を終えながら」という宣言文を読み上げた。