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【コラム】三菱エレベーターで浮かんだ考え(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2019.08.15 10:04
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夏休み期間中、地方都市の高層アパートに住む知人を訪問することがあった。エレベーターに乗ったところ、戦犯企業というレッテルを貼られている三菱の商標が数字の上についていた。団地内のコンビニエンスストアに日本ビールを売らないという案内文が張り出され、進入路周辺に「もう負けません」と書かれた垂れ幕を掲げていることとは違い、住民のその誰も三菱エレベーターは意に介さなかった。ビールとエレベーターの違いは何だろうか。それは代替可能なものとそうでないものの違いだ。正常に動いているエレベーターを交換することもできないし、アパートの住民が20階という高層を自分の足で歩いて上ることもできない。

不買運動は衣類やビール、化粧品など代替可能品がある消費財に限定されている。自動車もこの範疇から出ない。公営放送ニュースを進めたアンカーの手に握られたボールペンが日本製ではないかと視聴者が抗議の電話をかけ、アンカーがわざわざ国産だと説明するハプニングが起きた。ボールペンは国産だとしても、アンカーの説明を居間に伝える放送装備の相当部分は日本製だ。国内で使う放送カメラのほとんどは100%日本製だと考えてもいい。日本企業の市場占有率やコストパフォーマンスなどを考慮すると、選択の余地が他にないためだ。不買運動は日本の経済報復に対する抗議手段だが、すべての日本製品を拒否することは中国産製品なく生きていくことと同じくらい不可能なミッションだ。

 
では日本という国は我々にとってどのような存在なのか。言うまでもなく、代替不可能な存在だ。それも永久的にだ。エレベーターは故障したり耐久年限が過ぎればより良い製品に交換することができるが、隣国はそうはいかない。引っ越しすることもできない。隣国は醜かろうが美しかろうが、好むと好まざるに関わらず離れられない宿命だ。そのような大前提の下、共存・共生する戦略を立てて関係を設定しなければならない。韓国も日本も両国政府双方に該当する話だ。

韓国の主力産業の急所を狙った日本の経済報復措置は撤回されるべきだ。安倍首相の言葉のように信頼が崩れたとすれば信頼を再構築しようとする努力からやることだ。隣の倉庫を潰して屈服させようとする目論見に誰がうなずくだろうか。だが、我々が「竹槍」を手に対抗することもまた賢明な対応とはいえない。今広がっている極限の対立は勝者も敗者もない、ただのどん詰まりゲームにすぎない。


【コラム】三菱エレベーターで浮かんだ考(2)

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