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【コラム】慰安婦ドキュメンタリーの始まり

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2019.07.18 09:18
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「慰安婦論争が1990年代に始まったが、その前に問題が提起されなかったのはなぜだろうか」

日系米国人のミキ・デザキ監督の従軍慰安婦関連ドキュメンタリー『主戦場』(25日公開)がメディア試写をした15日。懇談会の時、英語を使う外国人評論家が投げかけた質問だ。監督の考えはこうだった。生存した被害者が韓国社会の家父長制などで証言し難しかったが、90年代ではフェミニズム運動に力づけられて声を出すことができたと。当時、民主化の影響もあっただろうと付け加えた。

 
それに加えたいことがある。全世界的に30本が出た慰安婦ドキュメンタリー・映画の本格的な口火を切ったのは1995年作『低い声』(監督ピョン・ヨンジュ)だ。当時韓国の20代女性が演出・製作を手掛けて被害者の生の声をそのまま聞かせた。

注目すべきことは『低い声』が韓国で公開される前に日本で開かれた「95山形国際ドキュメンタリー映画祭」で授賞したということだ。当時の記事を見ると、製作初期から日本社会党議員と朝日論説委員などが後援に参加したという。「軍慰安婦問題は単なる日帝侵略の下に女性が受けた受難の歴史でなく、アジアという特殊性と資本・階級・ジェンダーという重層的な矛盾が複合的に起きた事件」というのが製作チームの考えだった。副題が「アジアで女性として生きるということ2」である理由だ。

慰安婦の実状暴露も日本で先にあった。「元挺身隊であることを明らかにして証言する初めての生存者」と紹介した日本人の城田すず子(仮名、当時65歳)が90年5月「韓国人同僚」の受難を回顧・暴露した。そして、問題の「吉田清治の証言」があった。「慰安婦強制徴集」を主張したこの証言を後日、朝日新聞が撤回したが、当時旧日本軍慰安婦問題を広く認識させるきっかけになった。慰安婦問題を認めた「河野談話」(93年)もだからこそ可能だった。

韓日間外交葛藤から刺激された嫌日・反日の声が高い。ドキュメンタリー『主戦場』が出発する問題意識、すなわち「なぜ日本の右翼は軍慰安婦問題にそのように狂奔して隠そうとするのか」に注目せざるを得ない。結論は、彼らに政治・理念的計算があるということだ。

これに劣らず、ドキュメンタリーが強調するのがある。慰安婦問題に関連して既存の主張と相反する史料が発掘されて主な証言が撤回され、覆されているにもかかわらず韓国の運動関係者がこれを見逃しているという指摘だ。国際支持の中で拡大してきた運動の位置づけを韓国が自ら縮小しているのではないかという懸念だ。片目は右も左も危険だ。第3国人が作った「慰安婦ドキュメンタリー」で国際社会内の韓国の座標がさらによく見えてくる。

カン・ヘラン/大衆文化チーム次長

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