【中央時評】誰が世宗路の軸をを曲げたのか=韓国(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2019.03.08 08:45
数えきれないほどの夜を胸えぐった歌、『椿娘(トンベック・アガシ)』。倭色論争で一時禁止曲になった歌。だが、実際に論争の対象になるのは歌ではなく歌手の名前だった。あれは日本式の名前ではなかったか。ミジャ、美子(ヨシコ)だとは。
創氏改名。日帝蛮行として必ず挙げられる単語だ。そして姓を変え名前を直して親日派として断罪される人々がいる。ところでそのような名前を娘につけたのは誰だったのだろうか。どうせ消えてなくなった国なんだから、時代に合わせて生きようと思ったのかもしれない。新たな流行だと信じていたかもしれない。彼らは風に吹かれるままにただ揺れる民衆ではなかっただろうか。
新しい光化門(クァンファムン)広場造成計画が発表された。世宗路(セジョンノ)といえば登場する文章がある。日帝が景福宮(キョンボックン)前の道の軸を朝鮮神宮の方向に曲げた。王朝の凌辱と民族精気抹殺の残虐な措置だった。侵奪・抑圧・虐待・受難の非対称単語として、私たちは弱者であり被害者だ。蛮行を明らかにしてくやしさを暴いて告発と証言で解寃の厄払いをしなければならない。