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【時論】知識と大学が捨てられている=韓国(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2019.02.27 07:50
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知識も大学も芳しくない国がギリギリで踏ん張っているのが不思議だ。20世紀初葉、われわれが日本に外交権を奪われた乙巳勒約の時(1905年)、西洋ではアインシュタインが特殊相対性理論を発表した。コペルニクスが世の中を一度騒然とさせてから、古典力学と量子力学が事物に対する知識の基礎を作った。過去一世紀の間、われわれの心と体は外勢の精神的・物質的侵奪と南北理念対立の鎖に固く縛られたままだ。韓国の大学と知識はその間何をしていたのか、今後第4次産業革命という大きな一線を引く変化の主役であるこれらがどれくらい過去の愚かさを踏襲しないか、心配だけが募る。

西洋の両極端的合理主義を間違って学んだわれわれはまだ対立と葛藤に明け暮れている。政府は政府のとおり、大学は大学のとおり風が収まる日がない。その中でも、頭を上げて西洋を学び、宇宙生成原理を明らかにしてみようとした性理学の理気論は理が先か気が先かをめぐり長く争った。科学の力で世の中のことを理解するために役立たせようしたというよりは、衒学的論争に一貫した。朝鮮の性理学は西洋学問のプラトンまで進むことができないうえに、彼らの理を理として見ることができなかった。理を自然に解することができず(理解)、勝手に解釈し、説明するといいながら数字とモデルだけを追い求め、実在から距離だけが遠ざかった。

 
1世紀が過ぎてわれわれに残されたのは、純粋な科学は金にはならず、応用科学(医学・法学・農学など)に傾斜しながら経験主義、実証主義、機能主義、そして構成の誤謬から抜け出せずにいる。カール・ポパーの言葉のように「学問は立証だけでなく反証が伴ってこそ科学的研究が完成」されるが、実証主義者は表面的なことばかりに汲々として研究の本質を冷遇してきた。事物の本質や存在の根本原理を理由や直観により探求する形而上学は哲学者がすればいいと片付けた。この国の学問の弱点は、融合科学へと進む21世紀知識地図でその根っこが哲学と数学であるということを時々忘れているようだ。

2006年ソウル大学開校60周年記念学術大会の際、融合学問の道を開こうと「学問の未来、未来の大学」という文を筆者が発表し、呉世正(オ・セジョン)教授(現ソウル大学総長)が討論した。10年を以上を経た今、有数大学の総長が大学の未来を心配しながらも、大学のソフトウェアである知識とその乱用の責任に関する議論は不十分だ。


【時論】知識と大学が捨てられている=韓国(2)

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