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【コラム】北朝鮮ミサイル開発はノーベル平和賞受賞者からの贈り物から始まった(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2019.02.22 16:15
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今月27~28日、ベトナムの首都ハノイで開かれる予定の米朝首脳会談を控え、ベトナム戦当時の北朝鮮ミグ(MiG)機操縦士派兵外交が新たに関心を引いている。北朝鮮は1967~68年、同じ共産陣営である北ベトナムに武器や物資はもちろん、大切な軍事資産である操縦士まで派遣して援助をした。北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長はベトナム訪問でこれを特に強調する可能性が高い。北朝鮮が操縦士派兵外交で得るものが相当あるためだ。

北朝鮮とベトナムの蜜月は思ったよりも長続きしなかった。両国関係は、78年にベトナムがカンボジアを侵攻したことで亀裂が大きくなり始めたからだ。北朝鮮がこれに抗議して、失脚したカンボジア国王のノロドム・シアヌークを平壌(ピョンヤン)にとどまらせたことで両国関係は急速に冷え込んだ。特に、92年ベトナムが韓国と修交して脱北者を韓国に送りながら北朝鮮との関係が決定的になった。だが最近、共産党同士の「血盟」雰囲気を盛り上げているものとみられる。

 
北朝鮮は50年、北ベトナムと外交関係を樹立したほか、57年7月にはホー・チ・ミン(胡志明)ベトナム主席が平壌を、58年11月28日から12月2日までと64年11月には金日成(キム・イルソン)主席が中国を経てベトナムをそれぞれ訪れた縁がある。ベトナム戦の真っ最中だった60年代、北朝鮮は北ベトナムに多くの武器と物資を支援したほか派兵も行い血盟関係を結んだ。さらに北朝鮮が工兵部隊を派遣してベトナム共産党中央委員会と国防部を地下坑道に移す工事を行ったという諜報もある。情報当局によると、韓国戦争(朝鮮戦争)当時、爆撃に苦しめられた北朝鮮は核と長距離ミサイル生産と発射施設を含めた多くの党と軍、政府の庁舎、そして道路と軍需工場を含めた核心産業施設を地下坑道化した。北朝鮮はこのような地下坑道化の経験を活用してベトナムを支援したと推定される。2012年「冷戦研究」ジャーナルによると、北朝鮮はベトナム学生2000人余りを招いて教育した。

◆北朝鮮、67年北ベトナムに操縦士を派兵

北朝鮮の北ベトナム支援で最も目を引くのは何と言っても空軍操縦士派兵だ。2003年「軍事史ジャーナル」によると、北朝鮮が66年10月に朝鮮労働党決議まで経て67年初めに1個の飛行戦団規模の操縦士を北ベトナムに派兵し、首都ハノイ上空を担当する第921・第923戦闘飛行団に配属した。68年まで計200人の北朝鮮軍操縦士がここに勤務し、1個の反航空連隊(防空連帯)も共に追加派兵した。当時北朝鮮は武器と弾薬の他にも軍服200万セットも北ベトナムに援助した。2001年英国BBC放送は、派兵当時金日成主席が「ベトナム上空を自分たちの空だと考えて戦うように」と指示したと伝えた。

米国ウィルソン・センターが2011年12月に公開した調査結果はこれとは内容が少し違う。これによると、北朝鮮は67~68年87人の空軍操縦士を北ベトナムに派兵し、操縦士はハノイ近隣ケップ飛行場を根拠地にハノイ対空防御任務を遂行した。ベトナムと北朝鮮は2000年に初めて北朝鮮空軍操縦士がベトナム戦に派兵されたという事実を認めた。

ウィルソン・センターによると、北朝鮮操縦士はベトナム空軍所属ミグ機を飛ばして米軍機と戦闘を繰り広げ、そのうち14人が亡くなった。14人は最初は67年にハノイ付近のバクザン(北江)省に作られた墓地に埋葬された。ウィルソン・センターは2007年8月にベトナム新聞が「2002年北朝鮮当局が操縦士遺骸を全部送還したが、墓地跡は引き続き管理されている」と報じる内容を伝えた。ロイター通信は今月13日、現場で墓の場所が依然として管理されていることを確認した。


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    2019.02.22 16:15
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