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解放後帰国した金九先生が一番最初に訪ねた場所は?

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2019.01.09 17:50
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「三・一運動は一言でいうと、『保国安民』運動で、今日の保国安民は『民族統一』だ」

9日、ソウル中区(チュング)世宗(セジョン)大路プレスセンターで天道教が新年懇談会を開催した。天道教にとって「2019年」はとても格別な年だ。日帝の暴圧に対抗して野火のように広がった1919年「三・一運動」が100周年を迎えるためだ。イ・ジョンヒ天道教教領は「その中心には天道教があった。『三・一運動』といえば、『柳寛順(ユ・グァンスン)』だけを記憶する世相が残念だ。現象の下で流れる本質があるためだ」と指摘した。三・一運動は単に日帝に対抗して万歳を叫んだ「一回だけの運動」ではなかった。イ教領は「上海臨時政府にいた金九(キム・グ)先生が解放後、帰国して一番最初に訪れた場所がどこか知っているか」と尋ねた。他でもないソウル牛耳洞(ウイドン)にある義菴(ウィアム)孫秉煕(ソン・ビョンヒ)氏の墓地だった。孫秉煕氏は済愚(チェ・ジェウ)氏、崔時亨(チェ・シヒョン)氏に次ぐ東学3代教祖だった。また、独立宣言文を朗読して三・一運動を主導した33人の代表でもあった。

 
イ教領は「三・一運動により満州と沿海州一帯に散在していた独立活動家が大きく刺激を受け、大韓民国統合臨時政府を立てた。三・一運動は大韓民国建国の礎を立てた民族をあげての運動だった」と説明した。当時天道教にあっては「第2の東学革命」だった。「孫秉煕教祖は東学革命のすさまじい失敗から教訓を得た。そのため、『第2の東学革命』は天道教だけの力でなく、東学だけの力でなく、他の宗教とも手を携える大衆的運動でなければならないということを痛感した。それでプロテスタントにも、仏教にも手を差し伸べた」

孫秉煕氏は1918年8月にすでに天道教の核心幹部に全国の大教区ごとに謄写機を1台ずつ準備することを指示した。後日、この謄写機で印刷した独立宣言書は三・一運動が全国的に広まるのに大きな力になった。イ教領は「孫秉煕教祖がいなかったら三・一運動もなかったはずで、それでは上海臨時政府も変わっただろう。そのような歴史的流れを分かっているため、金九先生が帰国後牛耳洞墓地を一番最初に訪れた」と話した。

三・一運動が起きた時、天道教教徒は約300万人だった。当時、プロテスタントの信徒は20万人だった。南北分断当時は300万人の中で200万人の天道教人が北朝鮮地域にいた。南北分断により天道教の教勢は致命的な打撃を受けた。

今年三・一運動100周年を迎えて天道教は北朝鮮の天道教である青友党側と共同行事を推進中だ。1月末に北朝鮮を訪問し、南北共同行事で北朝鮮側の天道教教徒に会って「三・一運動100周年共同行事」を協議する予定だ。また、「三・一運動100周年記念大会」をはじめ、学術大会、市民宣言発表、三・一運動遺跡見学などを開催する計画だ。

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    2019.01.09 17:50
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    天道教が9日、ソウル・プレスセンターで「三・一運動100周年」を記念して新年懇談会を開催した。
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