日帝資料に依存して大韓民国臨時政府を研究する韓国の現実(1)
ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版2019.01.07 14:10
三・一運動と大韓民国臨時政府100周年を迎えて華々しい賛辞が満開だ。三・一運動を革命と呼び直そうという提案も出てきた。日帝強占期に実際に三・一革命という用語も使っていたので再度使ってはいけないということもない。ところが、韓国社会の三・一運動顯揚(けんよう)事業は、たとえれば「根のない巨木作り」のように見える。100年ならかなりの大きさの木に育つほどの期間だ。根が貧弱ならどうなるだろうか。基礎資料の収集と研究が追いつかない中で「政治的な言葉の羅列」だけがただ生い茂っている。
臨時政府100周年にもかかわらず、臨時政府の文書さえほとんどない。臨時政府文書は2度にわたってすべて亡失した。臨時政府が三権分立の民主共和政を指向した点は高く評価されている。ところが臨時議政院(国会)の資料だけしか伝わっていない。1932年末に日帝がまとめた『朝鮮民族運動年鑑』の付録に臨時政府文書目録が記されている。日帝が尹奉吉(ユン・ボンギル)義挙直後、上海臨時政府庁舎に乱入して強奪して行った原資料の題名をここに書き込んだのだ。このような源泉資料をまだ探し出せずにいる。檀国(タングク)大学のハン・シジュン教授は「我々の独立運動史の研究は、日帝強占期の捜査資料や判決文に依存するほかない」と話した。