【コラム】韓国侵略の名分になった『日本書紀』の間違いを探して(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2018.12.20 13:58
記録は生命だ。棺の蓋が閉められていても記録があれば永遠の命を得ることができる。記録されていなければ最後にはかすんでいってしまう。どれほど輝かしい文明や歴史であっても避けられない宿命だ。そう、「忘れられてしまった鉄の帝国」伽耶のように。どうして伽耶はそこまで記録を無視したのだろうか。古代国家の記録は完全ではないが、どうして高句麗のような碑文さえ残さなかったのだろうか。
おそらく最後まで中央集権化を成し遂げられなかったことが最も大きな原因だったかもしれない。小国連合体としては、ある一国の目立った行動がなかなか容認されなかったのかもしれない。やはり小国連合体だった新羅の場合、中央集権の軸が用意された智証(チジュン)王(在位500~514)以降に碑文が登場したことから考えてもそうだ。だからこそ、その一つ一つがまばゆく美しく精巧な鉄器と土器製品を、競争的に作り出したに違いない。それが記録に代わるものだと信じていたに違いない。