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朝鮮人口2500万、海外動員された被害者150万…強制徴用受難史

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2018.10.31 11:26
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日帝強制徴用被害者が日本企業を相手取って起こした損害賠償請求訴訟が被害者の勝訴で最終確定された。

30日、大法院(最高裁)全員合議体は日帝強制徴用被害者4人が新日本製鉄(現・新日鉄住金)を相手取って起こした損害賠償請求訴訟の再上告審で「被害者にそれぞれ1億ウォン(約994万円)の賠償を命じる」という原審判決を確定した。

 
大法院がこの日、損害賠償判決を出した強制徴用被害期間は概略1939年から1945年までだ。

日本は日中戦争を起こした翌年である1938年、国家総動員法を制定して強制徴用を本格化し始めた。

初期にはせめて雇用提供という名分で「募集」の形態を取っていた。だが、実際は日本企業が朝鮮総督府の許可を得て農村地域の貧しい人々をだまし、あるいは強圧的に連行していく方式だった。総督府は地域の末端行政機関に割当量を定め、警察や面長など地域をよく知っている人が直接出て割当量を満たした。

戦況が不利になった1944年からは対象を特定して徴用令状を発行する強制労務徴用方式も動員した。

このような形で強制徴用された朝鮮人数は日本と満州など朝鮮の外で動員された人が150万人、朝鮮内作業場に動員された人が約200万人と推定される。当時朝鮮の人口は約2500万人だった。

強制徴用された人々の生活は苛酷でみじめだった。事故で亡くなる人々は数えられなかったし、耐え切れずついに自ら命を絶つ人々も発生した。

1945年、解放を迎えてからもこの人々の状況は変わらなかった。日本は朝鮮人を帰国させる積極的な手段を用意しなかった。広島三菱重工業で働いていた強制徴用者なども密航、あるいは自主的に船便を用意して帰国の途についた。そのうち行方不明になった人々も少なくない。

故国でも厳しい暮らしを強いられていた人々に政府から与えられた補償は少なかった。

1975~77年「対日民間請求権補償に関する法律」により死亡者8552人に30万ウォンずつ25億6500万ウォンを支給した。2007年には軍人・軍属供託金10万8900件(総額9100万円)、2010年労務者供託金6万4200件(総額3500万円)の名簿を日本政府から受け、韓国政府の財政で賠償した。換算比率は1円当たり2000ウォン。被害者の手に与えられた慰労金は数十万~数百万ウォンに過ぎなかった。

被害者の真相調査も全体的に行われなかった。2004年強制動員真相究明委が発足し、韓国政府レベルで本格的な調査が始まった。

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