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【コラム】私たちには被害者の情緒があるのか=韓国(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2018.04.18 10:48
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多くの韓国人が日常で不当に自分の権利が侵害された経験を抱えて暮らしている。法と制度が徹底されず、それを運用する人たちは不親切だ。そのような不条理がさらに不公平に適用される。強者は避けて通り、弱者だけに厳格だ。そのような時にわめいて、そして他の人々が注目すれば、問題が突然解決したりもする。法規に規定された当然の代償さえも泣き叫んでこそ受けることができたり、逆に不可能なことも泣き叫べば可能になったりもする。

このため誰もが声を高める。声を高めていない多くの時間には何かを失っている、声が高めた他の誰かに奪われていると考えるようになる。いつも何か損をしているという気がする。自分が経験した小さな悔しさがそのようにいくつかの段階を経て、社会全体に対する根本的な不信に、さらには復しゅう心に発展する。これは韓国の政治外交とはいかなる関係もないことだ。

被害者の情緒を刺激すれば公憤が起こる。この力は火と同じだ。矛盾と不条理を燃やしてなくすエネルギーにもなるが、とんでもないところに広がったりもする。官僚はひとまず火から消そうと考える。事件・事故が発生すればすぐに特別対策会議が開かれる。

特段の対策をどうやって数日間で出すのか。発表の内容を見ると、過去に議論したが無理だと判断して棄却したアイデアが多数含まれている。それを制度にして強制すれば新たな矛盾、不条理となる。そこに不満が抱いた人たちは過去の事故の犠牲者を恨み、その当時の悲しみと正当な怒りまでも毀損しようとする。

このような悪循環はすべての部分を同時に変えるしかない。何よりも日常で悔しい思いをすることがないようにしなければいけない。権力者は小さな批判に耳を傾ける必要がある。「慣行」として済ませるべきではない。不満が爆発する前に自ら修繕する社会システムを構築するのがよい。難しい注文ではあるが、その一方で政府は大衆の怒りの前でも軸が揺れてはいけない。今日の例外が翌日すぐに慣行になり、その翌日には積弊となる。

市民の使命もある。日常の不条理をその都度指摘して告発するものの、暴力的な興奮や小さな集団の確証バイアスとは距離を置いて沈着な行動を取ることだ。メディアに要求されることも全く変わらない。

チャン・カンミョン/小説家


【コラム】私たちには被害者の情緒があるのか=韓国(1)

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