【コラム】いつか見たような=韓国(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2018.03.06 16:20
春の訪れが感じられた三一節(抗日独立運動記念日)の朝、極東ロシア、沿海州が思い浮かんだのは、その果てしない平原に眠っている独立志士らの霊魂のためだった。1937年に18万人の朝鮮人が中央アジアに強制疎開となったウラジオストクの新韓村には記念碑が立っているだけで、韓国人の痕跡はない。そこから北側に位置するウスリスクには李相ソル(イ・サンソル)先生の遺墟碑があり、南側には安重根(アン・ジュングン)義士が断指同盟を結成したクラスキノがある。広大な草原と境界地域の山脈に埋められた多くの抗日闘士の英霊は100年が過ぎた今、世界の火薬庫になった韓半島(朝鮮半島)を見下ろしている。核弾頭を立てた北朝鮮と高層ビルで対抗する韓国の極限的対峙状況を察したのだろうか、沿海州と中国大陸を飛び交う烈士はまだ安らかに眠ることができない。
心が安らかでないのは韓国の高齢世代も同じだ。対南統一戦線部長、人民軍隊長の金英哲(キム・ヨンチョル)が泰然と非武装地帯を通過した。その場面は70代、80代の戦争トラウマに鋭く触れた。韓国哨戒艦「天安」爆沈、延坪島(ヨンピョンド)砲撃事件の責任者と見なされた金英哲、1946年生まれで幼年期に戦争を目撃し、あの特別な北朝鮮体制で「戦争機械」の象徴人物になった彼だ。今年70代初めのある先輩が長いため息をついた。「私は今まで戦争恐怖症に苦しんでいるのに同年輩のあの人は戦争狂になった」と。