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【コラム】中国はまだまだだ=韓国(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2017.12.19 11:57
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歴史的に韓中関係が最も平安だった時期は15、16世紀ではないかと思う。14世紀末に中国では蒙古族が建国した元が漢族の明に変わり、韓半島(朝鮮半島)では高麗が朝鮮に変わった。開国初期の混乱を収拾し、1402年に明の第3代皇帝の成祖が即位する頃、朝鮮では「王子の乱」を経て太宗が朝鮮の第3代王になった。それから1592年の壬辰倭乱(文禄の役)までの約200年間、朝鮮と明は平和で安定した関係を続けた。

もちろん問題がなかったわけではない。朝鮮を弱小国と見る中国統治者の認識の影響が大きかった。成祖は元の政策を引き継いで処女と宦官を貢物として出すよう要求した。力がなかった朝鮮は「進献色」という機構を設けて全国で処女を物色した。紆余曲折の末5人を選んで送ったが、明は誰々は太りすぎで、誰々は痩せすぎで、誰々は背が低いという理由で認めず、翌年また選抜するよう要求した。それだけでなく「朝鮮の宦官は聡明で賢く仕事を任せられるため、若くて清潔な宦官60人を選抜して送れ」と要求し、やむを得ず35人を選んで送ったりもした。しかし無理な要求は長く続かなかった。朝鮮がさまざまな理由で巧妙に避けたうえ、中国が自ら人道に反するという理由で中断したからだ。

 
朝鮮と明の関係が比較的平坦だったのには、朝鮮は学問と礼儀作法の水準で他の属国とは違うという中国の判断も作用した。朝鮮は朝貢国だが、書物を読んで礼儀を知る人が多いため、むやみ接すれば人心が離れると考えたのだ。使節の往来が頻繁になり、明は宗主国のイメージにも気を配った。朝鮮に軽視されることを懸念し、学問に優れた人物を正使と副使に任命し、中国の体面を汚さないようにした。朝鮮は明の文臣が来ると同じく文臣を前に出して詩文を交わすようにした。その結果を綴った『皇華集』は明の末期まで23集も発刊された。

王が即位すれば中国皇帝の冊封を受け、誥命と印を受ける属国ではあるが、朝鮮は属国の中で特殊な地位が認められた。儒家の影響を受けて民を教化する点で中国と似た水準と見なしたからだ。外国から使節が来ると上席に朝鮮の使節を座らせ、皇帝の宴会でも前床に配置した。これに不満を抱いた琉球や安南が朝鮮と同等の待遇を要請したが、明は受け入れなかった。


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