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<Mr.ミリタリー>南北が完全に断絶したJSA、これまで何があったのか?(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2017.11.17 15:20
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この時から板門店では南北が厳重な警戒をすることになった。JSAでは折り目が鋭く入ったズボンに真っ黒なサングラスを着用したJSA国連軍側警備大隊の兵士の姿が見られた。彼らが会談場の建物の周囲に配置され、人形のように真っ直ぐに立っているのは、北朝鮮軍を監視して訪問客を保護するためだ。体の半分を建物で隠し、残りの半分を露出するのも、万が一の事態が発生した場合に自身を防護するための方法という。サングラスを着用する理由も、北朝鮮軍が警戒兵の目の向きを把握できないようにするためだ。しかしこうした状況でも銃撃事件は発生した。84年11月23日、JSA北側地域にいたソ連の観光客が突然、MDLを越えて南側の「自由の家」に来たのだ。この観光客を追った北朝鮮兵士もMDLを越え、銃撃戦となった。この交戦で北朝鮮兵士3人が死亡し、5人が負傷した。国連軍側も韓国軍のチャン・ミョンギ上等兵が死亡した。国連司令部は毎年この日、チャン上等兵の追悼式を行っている。90年代初期にはJSA内のMDL北側にある木の栗が南側に落ちると、北朝鮮兵士が栗を拾うためにMDLを越え、停戦協定違反で国連司令部の抗議を受けたこともある。

現在、JSAでは南北間接触が完全に中断した状態だ。91年に国連司令部が韓国軍のファン・ウォンタク少将を軍事停戦委員会首席代表に任命すると、北朝鮮は停戦会議を拒否した。続いて94年には軍事停戦委員会の中国代表団が撤収した。北朝鮮は北側中立国監視委員会を担当していたチェコとポーランドの代表団も95年までにすべて追い出した。しかしまだ国連側中立監視委のスイス・スウェーデン代表団は活動中だ。北朝鮮軍の停戦協定無力化は、さらに停戦協定以降から使用してきた韓国側「民政警察」に該当する「警務」という腕章を廃止し、「板門店部隊」マークを着用している。80年代からJSA業務を担当してきたキム・ヨンギュ国連司令部広報官は「北が停戦協定を認めないという表示」と述べた。

 
JSAの建物も国連司令部と北朝鮮軍が厳格に区分して運営している。MDLにまたがる7つの建物のうち中央の青色の3棟は国連司令部が、その外郭の残りの建物は北朝鮮軍が管理している。軍事停戦委首席代表会議は開かれていないが、秘書長(大佐)・警備将校(中佐)・日直将校会議は随時開かれ、必要に応じて対話が可能だった。しかし今はそれも中断している。北朝鮮軍は国連司令部と電話通知文をやり取りする電話さえ受けないと、キム広報官は伝えた。このため今回の北朝鮮兵士の亡命による銃撃の時も、国連司令部が抗議文をMDLの前に立って拡声器で北側に通知するしかなかった。抗議文をMDLの上に置いてくる場合もあるという。北朝鮮は依然として閉鎖的であり共産独裁世襲体制だ。核兵器を対南赤化統一にも活用する雰囲気だ。JSAには今日も緊張感が漂う。世界唯一の冷戦遺産を撤去して南北が自由に通行するためには、北朝鮮の非核化と開放が最優先だ。

キム・ミンソク/軍事安保研究所長/論説委員


<Mr.ミリタリー>南北が完全に断絶したJSA、これまで何があったのか?(1)

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    2017.11.17 15:20
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    南側を眺める北朝鮮兵士。
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