「ご旅行でいらっしゃった明仁天皇、高句麗がいつ・なぜ滅びたかお尋ねに」(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2017.11.14 11:10
ことし9月20日、日本の明仁天皇夫妻が埼玉県日高市の高麗神社を訪れたという便りは、日本よりも韓国で大きく報じられた。高麗(こま)は高句麗の日本式表現だ。高麗神社は7世紀に日本へ渡って行った高句麗人「若光」を神として祀っている。若光は羅唐連合軍によって高句麗が滅亡する危機に面すると日本に亡命した。各地に散って暮らしていた百済人や高句麗人を移住させて武蔵国に高麗郡という村を作った。行政区域上、名称は日高市に変わったが、高麗川駅、高麗小学校、高麗鍋(キムチチゲと類似)など、その面影を今に伝えている。
「高麗」という姓の子孫も残っている。天皇の案内役を務めた第60代高麗家当主の高麗文康宮司にインタビューするために高麗神社を訪れた。