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「日本総督が無断搬出した『青瓦台美男仏像』を再び慶州に」…韓国文化財の返還を求める声(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2017.08.23 17:33
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青瓦台内に位置した石仏坐像の姿。
大統領官邸がある青瓦台枕流閣の裏側にある泉のほとりには統一新羅時代に製作された仏像が一つある。豊満な顔に目じりが上がり、太い唇は堅く。高さは約1メートル、製作時期は8~9世紀と推定される。

この仏像は1974年、ソウル市有形文化財第24号と指定された「石仏坐像」だ。優れた容貌のおかげで「美男仏像」と呼ばれ、青瓦台(チョンワデ、大統領府)の中に位置していることから「青瓦台仏像」とも呼ばれる。

 
日帝強占期から現在の位置を守っている石仏坐像。最近、地元の市民団体を中心に石仏坐像を本来にあった慶北慶州市(キョンブク・キョンジュシ)に移転しなければならないという主張が出ている。

地方分権運動大邱(テグ)慶北本部は22日、声明を出して「青瓦台の石仏坐像を本来の場所である慶州市に直ちに返還しなければならない」と主張した。この団体は「文在寅(ムン・ジェイン)は青瓦台内にある石仏坐像が慶州市に直ちに返還されるよう、必要な措置について関連当局に直接指示してほしい」と呼びかけた。

また「本来慶州にあったこの石仏坐像が慶州市に返還されるのはあまりにも当然な時代精神」とし「ソウル市と文化財庁は関係法令にこたわらず、時代の流れを尊重して青瓦台内の石仏坐像を直ちに慶州市に返還するための行政手続きを踏まなければならない」と促した。

文化財庁などによると、この仏像は大韓帝国が日本の植民地に併合(1910年)されて2年後である1912年、慶州を訪れた寺内正毅初代総督によってソウルに移された。

総督は当時、慶州金融組合の取締役である小平亮三という日本人の家の庭園からこの仏像を初めて発見した。かつて仏像がどこにあったかをめぐって意見が交錯している。慶州南山(ナムサン)、今は跡地だけが残っている慶州市道只洞(トジドン)の有徳(ユドク)寺、または移車(イゴ)寺にあったという研究がある。

総督がこの仏像を気に入ったということに気付いた小平は、ソウル南山にあった総督官邸にこの仏像を移した。このように故郷を離れることになった仏像は、27年総督府官邸(現、青瓦台)を改めて建てながら再び移転され、現在の場所に位置することになった。


「日本総督が無断搬出した『青瓦台美男仏像』を再び慶州に」…韓国文化財の返還を求める声(2)

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