주요 기사 바로가기

【コラム】「親切な在寅氏」が正義も生き返らす(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2017.07.31 15:02
0
作家のキム・フン氏はいつか「他人に親切な人になりたい」と話したことがある。ニーチェを読んだが「正しい人は早く判断しない。(中略)他人の話を傾聴する者で、他人に親切な者だ」という文章に引かれたという。そして「大いに反省した」と吐露した。

文在寅(ムン・ジェイン)大統領の脱原発構想は価値のある試みだ。全世界の6カ国がすでに脱原発を宣言した。だが、あらかじめ結論から出し、任意機構である公論化委員会が責任を取って追われているかのように決めるのは困る。脱原発は安全や環境、国家エネルギーの需給のレベルで総合的に考慮する必要がある。ドイツとスイスも30年間議論した末に議会表決によって決まった。スイスは国民投票を5回も行った。

 
韓国の原発への依存度は30%と非常に高い。島のような国であるため、ドイツのように隣国から電気を引いてくることも難しい。いったい電力の供給安定性や経済性、電気料金の負担、産業競争力の低下、輸出競争力の喪失など、考えることが一つや二つでない。それにもかかわらず、文在寅政府は工程率28%を超えた新古里(シンゴリ)5、6号機の建設工事を一時中断する措置を取った。そして3カ月ぶりに委員会が永久中断するかどうかを決めるという。利害当事者である国民を無視する不親切なアプローチだ。

仏教哲学者である高麗(コリョ)大学のチョ・ソンテク教授が話す僧侶・元暁(ウォニョ)の和諍論を再び吟味することになる。元暁は「群盲象を評す」を例にあげ、それぞれ違う主張が決して矛盾したり相反したりするものではないという点を強調した。ある者は象が「壁のようだ」とし、他の人は「柱のようだ」と言う。このような百家の異諍をめぐって元暁は「すべてが正しい」(皆是)と話した。それぞれの主張が象でない他のものを言及するわけではないためだ。同時に、元暁は「すべてが間違っている」(皆非)とも言った。象の全体を考えると、それぞれの主張に不足したところがあるためだ。

皆是・皆非は二分法的な思考を越えて多数の正しさを容認することであり、「私の正しさ」が絶対的でない可能性があるということを認めることでより大きい正しさを模索しようとするものだ。全貌を描き出すためにはどちらか一つの主張も制限されたり排除されたりしてはいけない。チョ教授は「お互いの正しさがどのように違うかを考える和諍的省察が前提にならなければ、正義の実現は不可能だ」と語る。


【コラム】「親切な在寅氏」が正義も生き返らす(2)

関連記事

最新記事

    もっと見る 0 / 0
    TOP