【コラム】韓流の真の危機(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2017.04.27 10:55
ところで、どうしたことだろう、いつからか韓国映画を見ることに興味を失っている。ここ1~2年のことのように思える。楽しみにして見る韓国映画リストが急激に減っている。来月初めのゴールデンウィークを控え、韓国映画界が用意した“食卓”にもこれといって食指が動くようなメニューがない。ある程度の質と面白さを保障し、特にお金が惜しいというわけでもないが、タイトルと俳優軍団、映画のコピーだけ見ても、どこかで見たような既視感100%の映画に対する疲労感が私を襲う。財閥・政治権力など既得権は悪行を日常的に行い、これに対抗する正義の奮闘と勝利をドラマチックに描いた映画だ。2015年1000万人映画『ベテラン』に始まり、26日に公開された『特別市民』(原題)に至るまで、別名「社会的憤怒ジャンル」「正義商業主義映画」と呼ばれている作品群だ。テレビの分野でもさほど状況は変わらない。「法匪(法律家盗賊)」を扱った『耳打ち』、義賊の物語『逆賊:民を盗んだ盗賊』などがこの系統だ。
もちろんこのように「正義商品」がヒットのキーワードとしてその地位を確立したのは、それだけ韓国社会には正義が不在で、正義への渇望が強いことを反映しているからだ。しかし、問題はこうした社会派映画が複雑な現実問題を善悪二分法という単純な叙事の網に入れて金太郎飴のように量産し、文化的想像力を失っているところにある。文化消費を通した現実葛藤の想像的解消を指摘する声もある。