浮石寺観音菩薩像、略奪されたとしても別の「略奪」で返してもらうのが正当なのか(1)
ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版2017.02.14 10:31
立春だった今月4日、忠清南道瑞山(チュンチョンナムド・ソサン)の島飛山(トビサン)麓の浮石寺(プソクサ)はいつになく気忙しかった。立春三災払いの行事が重なり、厄運払いのために焼いた札の灰が雪のように空を舞っていた。西海(ソヘ、黄海)と山々が幽玄な調和をなしている浮石寺は、偶然にも新羅の高僧である義湘(ウィサン)が建立した慶尚北道栄州(キョンサンブクド・ヨンジュ)の浮石寺と名前が同じであるためか、建立主を義湘としている。また、境内には義湘と善妙(ソンミョ)という女性にまつわる切ない愛の物語を伝える案内板がある。古さが感じられる建築物としては、現在宗務所として使われている建物とその前面の安養楼(アニャンル)程度に過ぎないが、展望は非常に良い。
浮石寺は朝鮮初期の地理誌である『新増東国輿地勝覧』には瑞山島飛山にある寺院として登場する。今でも裏山をそのように呼んでいる。義湘建立説は栄州浮石寺と混じり合ったものだと思われるが、浮石寺は朝鮮初期にもあり、1330年以前にもあった古刹であることは明らかだ。