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浮石寺観音菩薩像、略奪されたとしても別の「略奪」で返してもらうのが正当なのか(1)

ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版2017.02.14 10:31
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立春だった今月4日、忠清南道瑞山(チュンチョンナムド・ソサン)の島飛山(トビサン)麓の浮石寺(プソクサ)はいつになく気忙しかった。立春三災払いの行事が重なり、厄運払いのために焼いた札の灰が雪のように空を舞っていた。西海(ソヘ、黄海)と山々が幽玄な調和をなしている浮石寺は、偶然にも新羅の高僧である義湘(ウィサン)が建立した慶尚北道栄州(キョンサンブクド・ヨンジュ)の浮石寺と名前が同じであるためか、建立主を義湘としている。また、境内には義湘と善妙(ソンミョ)という女性にまつわる切ない愛の物語を伝える案内板がある。古さが感じられる建築物としては、現在宗務所として使われている建物とその前面の安養楼(アニャンル)程度に過ぎないが、展望は非常に良い。

浮石寺は朝鮮初期の地理誌である『新増東国輿地勝覧』には瑞山島飛山にある寺院として登場する。今でも裏山をそのように呼んでいる。義湘建立説は栄州浮石寺と混じり合ったものだと思われるが、浮石寺は朝鮮初期にもあり、1330年以前にもあった古刹であることは明らかだ。

 
◆確定判決前までは浮石寺への引き渡し禁止

先週末、浮石寺を訪れた。最近、韓日間の略奪文化財の返還をめぐる論争の中心に浮石寺が登場するためだ。浮石寺と曹渓宗(チョゲチョン)、そして一部の美術史学徒は、彼らの望みどおり、日本・対馬の観音寺という寺院から韓国窃盗団が盗んで韓国内に持ち込んだ高麗時代の金銅観音菩薩座像をひとまず「確保」するのに成功した。浮石寺は、警察が窃盗団を検挙した時に押収したこの仏像が浮石寺で製作されたことが明白で、しかもそれが高麗末に倭寇によって略奪されたため本来の場所に戻すべきだとし、これを押収した韓国政府を相手取り訴訟を起こした。

仏像引渡訴訟で、大田(テジョン)地裁第12民事部(裁判長ムン・ボギョン)は先月26日、大田国立文化財研究所が保管中の仏像を浮石寺に引き渡すよう命じる判決を下した。「原告(浮石寺)の所有であることが充分に推定でき、過去に贈与や売買などの正常な方法でない盗難や略奪などの方法で日本・対馬所在の観音寺に運ばれて安置されていたと見るのが相当」というのが判決の要旨だ。一体この仏像はどうしてここまで騒がれるのか。

境内を散策していると、中年男性3人の会話が聞こえてきた。「悪い××、われわれのものをなぜ自分たちのものだと言い張り続けるのだ? 仏像はどこにあるのだ?」おそらくニュースを通じてこの仏像について知ったようで、仏像が浮石寺に持ち込まれたと思っていたようだった。いかなる方法であろうとも、日本から持ち込まれたこの仏像は、もともと略奪されたものだから日本に返す必要はないという彼らの考えは、もしかしたら国民大多数の世論なのかもしれない。

だが、今回の判決がもたらしたその後の影響は尋常ではない。直ちに日本政府が猛反発に出たのはもちろん、韓国政府も即刻控訴した。大田地裁は最終確定判決が下されるまでは浮石寺に仏像を持ち出してはいけないという強制執行停止訴訟で政府側の手を上げた。仏像が浮石寺に引き渡されれば、控訴審で勝ったとしても回収が難しいと判断したためとみられる。今回の判決をめぐり、文化財分野の専門家の相当数は「愛国判決だ」と批判している。仏像がたとえ略奪されて日本に持ち出されたものだとしても、それをまた別の略奪という形で取り返すことを正当化できるのかという問題が残るためだ。また、倭寇による略奪は心証があるだけで証拠を確保しにくいという面で、「愛国」を前面に出した判決がさらに大きな災いを呼ぶのではないかとの懸念が出てきている。(中央SUNDAY第518号)


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    2017.02.14 10:31
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