【コラム】朝貢の再構成=韓国(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2017.01.25 16:29
華夷秩序の核心は朝貢だった。最も熱心な朝貢国は沖縄(琉球)であり、朝鮮がその次だった。朝貢を徹底しなければ不敬罪を懲罰しに軍隊が来る。正祖の時代の変わり者パク・ジウォンが八親等の従兄にこびて鴨緑江(アムノッカン)を渡った。乾隆帝の70歳を祝う長い行列だった。1年に30回ほど行ったため国の蔵が空になった。それでも丙子の乱の直後に比べると何でもない。
政権が代わったことに背を向けた朝鮮を懲罰しに清の竜骨大が軍隊を率いてきた。開城留守が軍隊の出現を報告したが、モンゴル騎兵は母岳ジェ(ムアクジェ)を越えて西小門(ソソムン)に到着した後だった。仁祖は南漢山城(ナムハンサンソン)に避難して越冬した。竜骨大は紅夷砲を黔丹山(コムダンサン)に置いて時々、大砲を撃った。晩冬に食糧が尽きた仁祖は三田渡に出て三跪九叩頭の礼で許しを請うた。不敬罪で貢物が急増した。世子・大君・嬪を人質とし、宮女数百人、軍馬、穀物、土産物を積んで帰った。