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【コラム】勝手気ままな公認、あなたの責任だ=韓国(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2016.03.25 10:58
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旧韓末を振り返る人が多い。失敗した歴史を繰り返さないためだ。120年前の丙申年も高宗(コジョン)が「俄館播遷」(高宗がロシア公使館に移って朝鮮王朝の執政をとったこと)をした年だ。乙未事変の翌年だ。風前の灯を実感する。誰がのみ込むかだった。日・清が争い、日・露がぶつかった。当時の支配層がしたことは、せいぜいどちらに付くかという派閥作りだった。

六十甲子が二度も流れたが、政治は相変わらずだ。政治は面倒で疲れる。しかし政治が間違えればさらに大変になり苦しむのが市民だ。今回も公認を見ると、第20代国会はすでに望みがないようだ。韓半島(朝鮮半島)の周辺に目を向ければ、本当にこれでよいのかと不安になる。それでも旧韓末と違うのは民主主義をしているという点だ。自分たちだけの祭りにならないよう阻止できるということだ。

 
「親朴」「非朴」が対立すると、「親朴」「落朴」「遠朴」などとコメディのような言葉の遊びだ。国会議員1人の公認問題を決着できず、卑怯に締め切りまで持っていく。このため野党が勢いづくかと思いきや、その間を持ちこたえることができない。分裂の後遺症に収拾がつく頃になると、救援投手を処刑しようといって事故が生じた。党代表の職印を担保に「玉璽闘争」を取り上げる姿も情けない。どうして与野党がこのように同じ姿なのか。

実際、第19代国会はめちゃくちゃだった。総入れ替えをしろというのは国民の命令だった。政治が消え、政争だけが乱舞した。無能な国会にした、政治を見苦しくした人を変えろということだ。公認もそのような国民的な要求で始まった。しかし責任を負うべき人が変わったかどうかは疑問だ。第19代国会を主導した人がむしろ生き残った。新たに注いだ水が清水か汚水かも見分けなければいけない。

すべて関心は自分の勢力を増やすところにある。有権者が何を必要とするかは後まわしだ。恥は関係なく自分側の人を後押しする。物を買う顧客は当然「甲」だ。ところが顧客が賢明でなければ販売者が「甲」として行動する。独占企業は横暴に振る舞う。今の政界がまさにそのような姿だ。特に支持政党が固定した地域であるほど横暴が激しい。

別の見方をすれば公認は政党内部ことだ。候補を誰にしようと政党が処理することだ。選択をするかしないかは有権者が判断すればよい。ところがそのようにできないのが問題だ。公認さえすれば無条件に投票する人たちのためだ。棒だけ刺しておいても当選するという話もある。

このような公認をしても心配しないのはこうした「棒投票」のためだ。どこで使うのかを判断して選出するのではなく、誰が使うのかを考慮して選抜する。国民の代表でなく権力者の使者ということだ。このように公認し、投票して当選すれば、誰に忠誠をつくすだろうか。投票した有権者でなく公認した権力者に頭を下げるしかない。結局、公認波紋の責任はそのような投票をしてきた私、そしてあなたにあるということだ。


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