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【コラム】中国を動かすには心から読むべき=韓国(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2016.02.12 17:15
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中国が北朝鮮とまだ血盟だと考えている人に時々会う。もちろん中国は過去の冷戦時代には「唇亡歯寒」として北朝鮮を同志・兄弟・血盟と呼んだ。しかし今は過去の歴史にすぎない。中国は1978年に改革・開放に向かい、79年に米国と修交してからは経済発展を追求し、北朝鮮と距離を置いた。その中国にとって今の北朝鮮は「厄介な隣人」であり「地政学的な負担」にすぎない。

歴史を見てみよう。両国間の距離が広がった決定的なきっかけは1975年4月だった。当時、中国の支援を受けたクメール・ルージュが4月17日にプノンペンを占領し、カンボジアを赤化した。北ベトナム軍はサイゴン占領(4月30日)のための最後の攻勢中だった。4月18日から8日間の日程で北京を訪問し、毛沢東主席に会った金日成(キム・イルソン)は高ぶっていた。歓迎夕食会場で有名な「失うものは軍事境界線、得るものは祖国統一」という演説をした。「軍事的方式で統一を成し遂げる黄金の機会だ。一刻も早くこの大きな機会をつかまなければいけない」と述べ、毛沢東を説得しようとした。毛沢東の返答は伝えられなかったが、当時の周恩来首相とトウ小平副首相は首を横に振った。金日成に会ったトウ小平は「解放戦争が20年以上続いたインドシナとは違い、韓半島(朝鮮半島)には停戦協定が発効中」と述べ、対決政策に反対した。中国指導者の選択は、もう一つの戦争を避け、適切な政治的解決策が出るまで韓半島の平和と安定を維持することを明確にしたということだ。当時の中国は、71年8月のヘンリー・キッシンジャー米国務長官の北京秘密訪問、72年2月21日の毛沢東主席とリチャード・ニクソン米大統領間の首脳会談の後、対米修交(79年1月)を目前に控えていた。78年からトウ小平の指導で改革・開放に乗り出した中国は、経済発展のために北東アジアの平和と安定が必要だったため、対決政策を追求した北朝鮮と葛藤が生じるしかなかった。

 
新年に入り、北朝鮮が1月6日の4回目の核実験に続き、2月7日には長距離ミサイルを発射し、北東アジアを揺るがしている。国連安全保障理事会の決議も無視した。その間の対北朝鮮制裁が特に効果がなかったことが証明されている。こうした状況を中国はどう考えているのだろうか。匿名を求めた中国の韓半島学者は北の核は中国に深刻な悪影響を与えると説明した。


【コラム】中国を動かすには心から読むべき=韓国(2)

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