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<慰安婦生存者13人証言>おばあさんの韓服(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.08.25 10:33
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1945年に戦争が終わり慰安婦生活も終わったが、人生は容易でなかった。家に戻った娘を見た母親は失神した。「みすぼらしい姿が言葉にならなかったのだろう。私が家に戻って『お母さん!』と呼ぶと、お母さんはとても驚いて『お前は人か幽霊か?』とそのまま気絶した」。結婚は夢見ることもできなかった。「良心があれば嫁には行けない。家族にも、自分がされたことを話せなかった」。

代わりに一生懸命に働いた。大邱の酒場従業員、蔚山(ウルサン)の海水浴場の商人、屋台の社長、保険販売員としても働いた。「1人娘がお嫁にも行けずに生きている」と言って胸を痛める親の前でできることは、ただ生き延びることだけだった。

そんな彼女が活動家に変身したのは91年に故金学順(キム・ハクスン)さんが日本軍の慰安婦だったと証言して以降だ。李おばあさんも勇気を持って45年以上も胸に刻み込んでいた話を取り出して被害者登録をした。初めは世の中の視線が怖かった。「おばあさんたちが金を受け取ろうと出てくるのか」「それが自慢か」という話を聞いた時はひどく後悔した。だが、強くなることにした。「慰安婦」ではなく「李容洙」として生きなければならないと決心した。96年に慶北(キョンブク)大学社会教育院と名誉大学院で学んで2001年に修士過程を修了した。2000年、日本の東京女性国際戦犯裁判と米国ホロコースト記念館で日帝の蛮行を証言した。2002年には日本の過去の歴史清算を要求するために平壌(ピョンヤン)で開かれたアジア地域討論会に参加し、2007年米下院で慰安婦の惨状を証言した。1000回以上開かれた水曜集会にも地道に参加している。

行事に行くたびに李おばあさんは韓服をきれいに手入れする。直接掛けえりをつけて足袋とゴム靴も整える。「国際行事に行けば日本人も中国人も来て、誰が誰なのか分からないから。私は朝鮮の娘だということを知らせたい。私は朝鮮の娘だ。堂々とした韓国人だ。それで必ず韓服をきれいにして着る」。

李おばあさんは「慰安婦被害者だということを前面には出したくない」と言った。代わりに「再び戦争によって私たちのような被害にあう人がいないよう解決者になりたい」と話した。大変なことではないかという問いに、李おばあさんは笑って答えた。「今、私の年齢(87才)は高くない。愛するにはちょうど良い年齢だ。200歳まで生きる。生きて完全に解決する。皆さんも共にするのが私の願い」。

◆日本軍の慰安婦決議案(HR121)=2007年に米国下院が第2次世界大戦当時に日本軍の慰安婦強制動員に対する日本政府の公式謝罪を要求して通過させた決議案。


<慰安婦生存者13人証言>おばあさんの韓服(1)

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    <慰安婦生存者13人証言>おばあさんの韓服(2)

    2015.08.25 10:33
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    韓服を着た李おばあさんが10日、国会で開かれた慰安婦被害者の臨床美術治療作品展で愛唱曲を歌っている。
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