【コラム】謝罪要求は、もうそれぐらいにして=韓国(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.08.18 11:21
何度か読み返した。赤線を引きながら繰り返し読んだ。日本の安倍晋三首相の戦後70周年談話(安倍談話)のことだ。最初の印象は、まあまあだった。特別な感興がなかった。名節日の祝宴を整えるようにたくさん並べたが、鮮明に迫ってくるメッセージがなかった。重ねて言った感じだろうか。論述試験の答案用紙だったらCプラス以上は取りにくいという気がした。
だが、なんと! 繰り返し読んでみると、それは違った。次第に苦心して書いた労作になった。単語ひとつ、表現一行にまで注意深く熟考して琢磨した跡が歴然だった。論理構造もかなりの枠組みを備えていた。見る人によっては評点がはるかに高くなりうるという考えになった。
安倍首相が自ら冒頭で明らかにしたように、談話は歴史の教訓と未来に向けた確約を2つの軸としている。第1次世界大戦以後に構築された新たな国際秩序に挑戦することによって、数多くの人に損害と苦痛を与えた事実を認め、再びそのようなことを繰り返さないと誓った。痛切な反省と心からのおわびを表明した歴代政権の立場は今後も揺るぎないものだとか、これ以上戦争と関係のない日本の戦後世代に謝罪を要求しなければ良いという希望を表明した。さらに過去の過ちに対する反省に基づいて世界平和と繁栄に寄与するという覚悟で最後を結んだ。