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<外交が力だ>(1)旧韓末救国外交…高宗の親書・密使外交(上)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.08.12 15:37
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高宗(コジョン)は滅びた国の君主だ。彼の生涯全てにかぶせられた不名誉だ。だが学界では乙巳勒約を前後した高宗の外交を再評価する努力をしている。親書伝達、特使派遣、秘密ライン接触、国際機構への加入、亡命政府構想など高宗の外交は手段も方法も問わなかった。外交権の行使で制約を受ける状況でも現代国家が使う外交手段を網羅した。

◆親書外交=日本とロシアの対立が激化した1900年代から高宗は列強に対し韓半島(朝鮮半島)の中立化を提案して親書伝達という方法をとった。1903年11月23日、高宗は「将来、日露戦争が勃発すれば本国は国外中立を宣言する」と宣言した。日露戦争勃発(1904年2月)の3カ月前だった。引き続き高宗は1904年1月16日「韓国の中立宣言」が盛り込まれた親書をイタリア国王など各国に伝達した。日本が電信業務を統制しており高宗は密使を中国山東省の芝罘(煙台)に送った。ここからフランス領事の助けを借りて各国に親書を発送した。

 
乙巳勒約の締結後、勒約の無効化を主張するためにも親書を活用する。密使派遣を通じてだ。1905年12月、侍従武官ヒョン・サンゴンをロシアに送ってニコライ2世に主権回復を助けてほしいという親書を渡した。ロシアはロンドン・ウィーン・ローマ・ワシントン・ベルリン・パリ駐在の公館長に「乙巳勒約が違法であることを知らせよ」と指示したが、フランスのほかはほとんどが日本の立場を支持した。1906年6月には国際裁判所の提訴を助けてほしいという親書を条約相手国9カ国の元首に発送した。




<外交が力だ>(1)旧韓隖救国外交…高宗の親書・密使外交(下)

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