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【コラム】高慢になった原則、偏見になった信頼=韓国

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.07.03 09:17
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『高慢と偏見』(1813年)が恋愛小説だということを後になって知った。高校時代に成文総合英語の読解文として初めて読んだ時は、重たい哲学小説だと思っていた。愛の物語の構造も最近ケーブルテレビの深夜映画を観てまともに把握した。酒の席で、英語の題名「Pride & Prejudice」をしばしばパロディにしていたが、もともとの原作の実体を正しく知らなかったのだ。

もちろん小説を書いたジェーン・オースティン(1775~1817)が英国人から愛されている女性作家だということも後になって分かったのだ。賢かったが貧しかった同時代の女性の悩みが、繊細な文章に残ることになったのだ。小説はハッピーエンドだ。主人公エリザベスは愛を成し遂げることに成功する。ハンサムな金持ち貴族ダーシーの誠実な愛を紆余曲折の末に確認する。

 
2人の長い恋の駆け引きが、高慢と偏見のためだったというメッセージが結局小説の題名になった。現代英米文学の最高の古典と呼ばれる本は、200年以上過ぎた今も読者に再び余韻を残す。古典にはそんな力がある。慣れ親しんだ内容にも好感が持てて、世相と作家の人生を知れば感動がより深くなる。題名は、時間が過ぎるほどに吟味される。

現実政治にこのような古典の香りを感じられたらどれほど良いだろうか。慣れ親しでいるのに感動があり、時間が過ぎるほど誠実な人柄がにじみでる香り高い政治は存在できないだろうか。

ふと2年6カ月前に朴槿恵(パク・クネ)大統領が当選した当時、半分以上の国民はしばらくそんな夢を見ていたという気がした。大統領の娘であり、大韓民国で初めての女性大統領。その上、古典の題名に次ぐ強大な句が彼女を修飾した。「原則と信頼」。支持者はその題名にとらわれ、彼女の成功神話は近く大韓民国の古典の隊列に上るという期待が大きかった。

だが2年余りの現実は、当時の期待とは全く違う方向に向かっている。古典になると思われた原則と信頼は、すでに誰のための原則であり誰に対する信頼なのか分からなくなり始めた。最近、その絶頂に達した。MERSに疲れ大統領の「慰労の手紙」を待っていた国民の前で、大統領は「背信の政治」だとして過去の同志を叱り飛ばした。執権与党はヤマナラシ(箱柳)のように体を震わせる妙な姿になった。驚いた国民に側近は「大統領はひたすら国家と国民のことだけを考えている」「私心のない方だから必ず成功するだろう」と強調する。

側近の主張は、事実の可能性が大きい。だが問い直したい。国民は自分たちが選んだ大統領の真価をいつ確認できるのだろうか。後代の歴史の本でも見るべきなのか。今国民は肉感を刺激するような描写とカタルシスのある反転を望んでいる。当代にベストセラーではない本が、後代の古典になるだろうか。「原則と信頼」という題名だけを彩って古典を作ろうとするならば、それこそ高慢と偏見だ。

キム・スンヒョンJTBC政治部次長待遇

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