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【コラム】どんな国も法だけでは生きられない=韓国

ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版2015.05.11 17:39
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私が韓国で運転免許を取得した時の話だ。3回も落ちた末にやっと免許をもらうことができた。運転免許試験での度重なる不合格は、米国ですでにベテラン運転者だった私に挫折感を抱かせた。再試験に必要な時間と費用も少なからずかかった。外国人として韓国で運転免許を取るのは容易ではない。私のように免許試験で何回も落第した外国人は少なくない。特に道路走行試験は非常に難しい。交差路の停止信号で止まって横断歩道に入ることもなかったのに、小さな失敗などによって脱落の苦杯をなめたりする。恐らく韓国道路の交通状況に習熟していないためだろう。運転免許を取った当時の喜びはいまだに忘れられない。試験場で涙を流した中国人青年の顔も記憶に新しい。彼は当時5回も落第していたという。

だが難しい免許試験とは違い、実際の道路で運転する時は大きい困難はなかった。もちろん交通渋滞や乱暴な運転をする人々もいるが、少なくとも交通法規違反で摘発されない要領は簡単に体得できる。実際に韓国で交通法規に違反する運転者を探すのは難しくない。違法なUターン、猛スピード、車線違反、方向指示などをなしに車線割り込みなど数えきれないほど多い。さらに横断歩道に入ってくる車両も少なくない。だが大部分は検挙されない。当局は主に交通監視カメラで撮られた法規違反の車両だけに罰金を科すためだ。交通渋滞が激しい場合には交通警察もささいな法規違反に目をつぶる。このために韓国の交通法規違反の相当数は監視カメラによって摘発される。これにもまた弱点がある。監視カメラがほとんど相当期間1カ所に固定されているためだ。同じ道路を2、3度走行してみた運転者はその位置を簡単に記憶する。運転者は監視カメラが設置された地点だけ気をつければいいだけだ。ほかの区間では運転者の良心によって法規遵守の可否が決定される。

 
交通法規と同じように、ある社会で発生するすべてのことを法によって規制することはできない。それでも人間の良心に過度に依存する場合、さらに大きな問題が発生する。

昨年4月に発生したセウォル号沈没も法と良心という2つの定規を持って分析できる。事故当時、船長は高校生を含む数百人の乗客を船に残したまま最初に救命ボートに乗った。このため船長をはじめとする船員たちは国民から大変な非難を受けた。良心を破った行為のためだ。

法的な面から見るとセウォル号事件の原因は過積載だ。まともに固定装置をしないまま車両をあまりにも多く載せたために発生したという分析だ。この観点では関係当局も責任をのがれることはできない。監督を疎かにしたためだ。決まった規定に合うよう貨物を船積みしないのも問題だが、虚偽作成された貨物書類をまともに摘発できなかったことも惨事の主たる原因だ。米国日刊紙ニューヨーク・タイムズは「セウォル号事件は過積載がどれほど危険かを生々しく見せた事例」と指摘した。これは韓国だけでなくほかの国にとっても教訓になるだろう。また少なくとも韓国で船舶の過積載は今後なくなると期待される。

セウォル号沈没をはじめとする多くの大型事故を強力な法規制だけで予防することは容易ではない。行政力が微細なところまで及ぼしにくいためだ。このため法的に生ぬるい部分は人間の良心が満たしてこそ健全な社会が維持される。これをどのように調和させられるかが私たちに投げられた課題である。

◆バーティル・ピータターソン…ボストングローブなど米国の主要新聞社で記者として活動した。エジプト米国商工会議所が発刊する「月刊ビジネス」編集長をつとめ現在はコリア中央デイリー経済エディター。(中央SUNDAY第426号)

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