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24年前に韓国を離れた養子レフスナイダー、米国野球の心臓に立つ(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.02.20 13:12
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彼は米カリフォルニア州オレンジ郡ラグナヒルズ出身だ。幼いころから野球・バスケット・フットボールで頭角を現した。2012年に米プロ野球名門ニューヨーク・ヤンキースに入団し、昨年マイナーリーグで打率3割1分8厘、14本塁打をマークした。ヤンキースはロビンソン・カノ(33、シアトル二塁手)、ブレット・ガードナー(32、ヤンキース外野手)のように、彼がヤンキースのファーム(farm、選手育成システム)で着実に成長することを期待している。

彼の名前はロバート・レフスナイダー(24、Robert Refsnyder)。彼は1991年3月26日にソウルで生まれ、5カ月後に養子として米国に渡った。ドイツ系の父とアイルランド系の母が彼を迎えた。6歳の頃、何かおかしいと感じた。「姉さん、なぜ僕たちは親と似ていないのだろうか」。3歳年上の姉のエリザベスが答えた。「私たちは養子だから」。姉も韓国から養子として米国に来た子どもだった。その時から彼は米国人の親をさらに深く愛した。

 
ロバート・レフスナイダーのもう一つの名前はキム・ジョンテだ。レフスナイダーは韓国でよく見られる青年のような姿だ。彼の名前には韓国がなく、彼の顔には米国がない。彼は20年以上も同じ質問を受けている。「君の名前と顔はなぜそのように違うのか」。8日、ニューヨークタイムズがレフスナイダーに関する記事を載せた時も、彼の野球より養子縁組のストーリーがより多く扱われた。

幼い頃から彼は人種差別的な言葉を聞いて育った。韓国に対する記憶は一つもないが、米国人は彼をレフスナイダーではなくキム・ジョンテとして接した。しかし彼は誰も恨まなかった。「親は私を本当に愛してくれている。韓国の親のことも理解している。私のために最善の選択をしようと努力したのだろう」。

父のクリントさんは息子にスポーツを教えた。ルールの中で競争し、努力して成果を出すことを理解させた。野球では優れた野手であり、フットボールでは素早いワイドレシーバーだった息子は、バスケットだけは父に勝てなかった。17歳になって息子は初めて父に勝った。クリントさんは大学時代、バスケットの選手だった。レフスナイダーは「父に勝って分かった。人生で簡単に得られるものはないということを。私には優れた才能がないが、その代わり立派な親がいる」とし「私は養子であることを恥ずかしく思わない。親を誇りに思う。私はレフスナイダーという名前で野球するのがいい」と語った。

レフスナイダーはアリゾナ大学時代の2012年、大学野球ワールドシリーズで最優秀選手に選ばれた。当時、彼が韓国から養子縁組されたという現地の記事が掲載された。その後、各種養子関連団体が彼にインタビューと講演を要請した。彼はいつも快く応じた。レフスナイダーは「私も後に養子を迎えたいと思っている」と話した。


24年前に韓国を離れた養子レフスナイダー、米国野球の心臓に立つ(2)

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